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外科医になった経緯

メディシノバ・インク 代表取締役社長兼CEO 岩城 裕一 (2015年1月取材)

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【聞き手】

本日はバイオベンチャーとして非常に成長を遂げておられるメディシノバ・インク 代表取締役兼CEO岩城社長にお話を伺っていきたいと思います。

【岩城】

こちらこそ、宜しくお願い致します。

【聞き手】

色々と社長について掘り下げてお伺いしていきたいと思いますが、異色のご経歴といいますか、もともとは外科医をなさっていたと。

【岩城】

医者が専門です。

―外科医になった経緯―

【岩城】

自分は札幌医科大学に入学して1975年に卒業しまして、そもそも当時は免疫学者になりたかったんですけども。

【聞き手】

それは子供の頃からですか?

【岩城】

子供の頃はそんなでもなかったです。僕らの時には、海外に行って活躍してみたいなという思いがあって。高校3年生の時に親戚に「岩城家にはには医者がいない、頑張れば入れるのはおまえぐらいだろう」と言われ、それがトリガーでした。

【岩城】

初めから外科医になるつもりは全くなく、ガンを免疫で治したいという気持ちがあったため免疫学者を目指していました。医学用法でいうと基礎医学と臨床医学があって、それで基礎医学に行って勉強をしようと。基礎医学というのは給料もらえるようになるまで時間がかかるのでアルバイトにいかないといけない。アルバイトに行った時に最低限の身に付けられるようにと、循環器科、心臓の専門のところと、肺の専門、胸部外科に、夏にアルバイトで三か月ほどいきました。

【岩城】

アルバイトが終わった時に当時主任教授が日本で初めて移植をした和田寿郎先生で、よくがんばったとのことで家に連れていかれて、呑んだこともないようなお酒を呑まされて。「君は将来どうするんだ」と言われ、免疫の勉強がしたいと言ったら移植の免疫というものがあると教えてくれた。移植免疫は非常に面白くて拒絶反応を克服しなければ移植医療は成り立たない。「君には移植医療を勉強してもらいたいのだがどうか」と言われたわけです。

【聞き手】

そんな偉い人に言われたら断れませんよね。

【岩城】

そうですね、それで移植免疫のことを学びたくて外科に入ったわけです。2年間研修して1977年にアメリカのUCLAで勉強していいよと言われ背中を押されていくことになりました。

【岩城】

アメリカは当時移植の黎明期だったですね。今のように移植をして生着率が90%も望めない時代で。免疫力製剤や薬もいいものがないということで、移植した腎臓も3か月もしないうちに3分の1が拒絶される、1年で半分が拒絶される、そんな時代だったのです。色々なことをしなくてはならなかったので、例えば、臨床の手術の改善もさることながら、摘出した腎臓や心臓の保存液をどうするか、免疫抑制でリンパ球の機能低下を一律にするのか拒絶反応を示しているリンパ球だけ対応するなど、そういう研究もしなければならなかったので、仕事には事足りていましたね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 岩城 裕一
役職 代表取締役社長兼CEO

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