メディシノバ(旧・メディシノバ・インク) ~世界中の難病に苦しむ患者のために。現役医師が新薬開発に挑む!~

Vol.2 起業の経緯

メディシノバ(旧・メディシノバ・インク) 代表取締役社長兼CEO 岩城 裕一 (2015年1月取材)

[もっとみる]

―起業の経緯―

【聞き手】

世界の医療の現場で外科医として移植を手掛けられて、そこから今のバイオの薬をつくっていくことになった転機はなんですか?

【岩城】

転機は1989年でした。ニューヨークの大手バイオベンチャーファンドの顧問を務めた時、何に腰を抜かしたかというと、一生懸命フロントラインを走ってきて、読む論文は『Nature』『Science』『Lancet』『The New England Journal』などで、私はそれらを読んでいれば情報がどんどん入ってくるし、良いと思っていました。ところが、論文になる前にみんなが特許を取っていることに驚いたわけです。その特許の書類でこれにお金を出してくださいと言っているのを見た時に、アメリカの研究者、学者、臨床家もこうやってお金を残しながら裾野を広げていっているのだと実感しました。

1990年代に入ると、脳科学の分野が進歩し様々な薬が開発されました。非常に面白く、多くの日本人にも紹介して、そうしているうちに1998年頃に日本の田辺製薬という製薬会社から新しい薬をつくる手伝いをしてほしいという依頼がありました。その時にはピッツバーグから南カルフォルニア大学に戻ってきていましたので、どうせ始めるなら一から始めようと言って始まったのがこのメディシノバです。メディシノバという名前は「medicine(薬)」と「nova(新しい)」ということで、新しい医学の分野を広げようという気持ちでつけました。初年度に開発資金として10億円出資していただいて、次の年も同額の出資をいただく予定だったのですが、方針が変わったということで出資できないと言われどうしようかと思いましたね。


【聞き手】

元手がないと研究ができないですよね。

【岩城】

はい。困ったなと思って。そのためボストンから人材をリクルートしてきて、メディシノバで働いてもらっていました。1年でお金がなくなったから会社を畳むということもできませんので、メディシノバを自分たちの手で育てていこうという決断を下して、2002年の春に友人やVCなどに資金を入れていただいて独立しました。その間、2回程ファンドライズしましたが、2005年の2月に大阪のヘラクレスに株式公開し、当時資金は潤沢にありましたので、それをベースにして色々な開発を手がけてきました。

社長プロフィール

President's profile
氏名 岩城 裕一
役職 代表取締役社長兼CEO

あなたにおすすめのコンテンツ

この社長に応援メッセージを送る
この社長に直接提案