Vol.2 反対に屈せず現場を変える
山本化学工業株式会社 代表取締役社長 山本 富造 (2016年1月取材)
―反対に屈せず現場を変える―
【聞き手】
卒業後、実家の会社に入社されました。 最初はどのような仕事を担当したのでしょうか?
【山本】
業務関係ですから、特に輸出の業務が多かったですね。神戸など、兵庫県に工場が3つあって、そことの間の車の行き来が毎日あるのですが、僕からみるとそのトラックが小さいんですよ。同じ1人で運ぶなら、もっと大きな車で走れば効率が良くなるのに、ということです。岡目八目で、最初はそういうところが目につきますから。すると、父親から「変えたいことがあったら好きにしてもいい」と言われまして。それまでの5メートルくらいの車を11.5メートルのトラックに変えました。そうしたら、そんなに長いのを誰が運転するのかという話になって、お鉢が僕に回ってきまして。結局、うちの運転手を横に乗せて、神戸まで2ヶ月くらい通いましたね。
運転手も、素人に2ヶ月も運転されたらもう嫌とは言えなくなるでしょう。それで、そのトラックを運転してくれるようになりました。また、製造業というのは、職人気質の社員が多いんです。例えば、機械の頭を触って「これでいい」と言うんですが、何がいいのかわからない。で、尋ねると、「水温がこれでちょうどだ」というような感じです。
【聞き手】
手で触った感覚ですか?
【山本】
そうです。ですが、その社員は20代の僕からみたらおじいさんですから、この人が亡くなったら、うちの会社はどうなるのかと思って。それで、温度計で計ってみたら、職人の手はすごいですね。ぴったり合っていました。でも、すごいのはたしかだけど、何とかしないと将来困ったことになるので、センサーを付けたりしました。
ところが、これに現場は大反対で。自分の仕事を取るのかというわけですね。取るつもりはないけれど、あなたが亡くなったらどうするのだと反論しても、その人たちにとっては死活問題ですから。だから、最初は現場に椅子を置いて、10日間くらい見張っていましたよ。トラブルが起きないように。幸い、10日ほどで観念してくれました。面白いんですが、半年ほど経ってそのセンサーが壊れたんですね。そうしたら、製造ができないと言うんですよ。半年前まで自分で手でやっていたのに、ですよ。やはり、そういうふうに変わってくる。そういうことが最初の頃はよくありました。
【聞き手】
入社してすぐご自身の判断で、現場を変えていかれたものの、その過程ではやはり反発や軋轢などがあったのですね。
社長プロフィール

氏名 | 山本 富造 |
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役職 | 代表取締役社長 |