Vol.2 渡米の決断とアイリス入社
インタビュー内容
-渡米の決断とアイリス入社-
【大隅】
私は最もきついと言われている、ヤングカジュアルのイクシーズという部門の営業に配属されまして、同期の中でもお前がイクシーズかと、そのくらい驚きをもって扱われましたね。ただ非常に楽しかったです。
通常はバイヤーさんが、商品の選択をされるんですが、イクシーズというのは、営業員が担当する百貨店の半年分の商品を自分で発注するんです。それで、イクシーズというのは、大型店になると、衣料品だけではなくて、かばんからシャープペンからハンカチから自転車まで、いわゆる大学生の生活を満たす物をすべて扱うブランドだったので、1日は服を徹夜で選んで、もう1日は周辺商品を徹夜で選ぶと、自分で選んだ商品を自分の担当する売り場に持って行って、売っていただくわけだから、非常に楽しくさせていただいて。
ちょうど丸4年でしょうか、これからというところで、父から一族の中で、英語を話せる人間がいないといけない、これからは海外での仕事ということもあるので、英語を話すためにすぐに会社を辞めて、アメリカに留学をしなさいと、半ば命令が下ったんです。 かなり悩んだのですが、やはりサラリーマンでいるよりも、当然社長が約束されているわけではありませんが、可能性としては非常に高いわけですので、思い立って辞めまして、ニューヨークに留学に行きました。
元々英語は嫌いなんです。どうして私が英語を話す必要があるのかな、好きなやつが話せばいいじゃないかという感覚だったので、非常に大変だったんですが、ほぼ1年かけて、TOEICが750くらいになるまで、受け続けて、ニューヨーク大学にある英語学校があるんですが、そちらに初級から入って、中の上ぐらいまで行ったのかな。
それで、なんとかTOEICが合格点まで達して、晴れて2年前から FITというファッション工科大学に入学しました。業界の方はご存じのファッション専門の学校なんですが、そちらに入学しまして、そこは短大なんですが、 普通の18歳の子でしたら、2年で卒業するんです。私の場合には夜の授業も取れば、一般教養は必要ないということで、1年で卒業できるということだったので、なんとか1年で卒業して、改めてアイリスへ戻ってきたという形になります。
やはり、会社の他の社員からすると、腫れものにさわるような扱いは当然ありますので、いきなり営業員として、営業部に配属ということはできなかったようです。私も4年他人の飯を営業員として食べていますので、正直自分の会社のレベルはむしろ低いと見ていましたから、いくらでもと思いましたけど、やはり何か失敗でもすると大変じゃないですか。
なかなか配属は営業という形ではなくて、一応経営管理をしろとは言われているんですが、初めは上司が率先して、会議の準備をされるお手伝い。机を並べて灰皿をきれいにして、資料をきれいに並べて、そのうちその並べる資料を自分でつくれと。どちらかと言うと、一営業部の内容ではなくてアイリス全体の数字を把握するような資料づくりということをずっと下積みでさせていただいたので、そこは勉強になったと思います。
そういった仕事を何年かした後に、晴れて、営業部に2年ほど、その後、岐阜の営業所に2年。戻ってきて、ほとんどすぐに大体2年ずつ。ようやく36歳ぐらいで課長になったと思うんですが、あとは2年ずつぐらいで部長、専務、そして、43歳で社長になりまして、今13年目 になります。
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経営者プロフィール
![](https://storage.shachomeikan.jp/photo/10062620.jpg)
氏名 | 大隅 洋 |
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役職 | 代表取締役 |
会社概要
社名 | 株式会社アイリス |
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本社所在地 | 東京都千代田区東神田3-5-11 |
設立 | 1946 |
業種分類 | その他の製造業 |
代表者名 |
大隅 洋
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従業員数 | 456名 |
WEBサイト | http://www.iris.co.jp/ |
事業概要 | ボタン、アクセサリーなどの服飾資材及びファンシーグッズ、エラストマー加工品、プラスチック精密成形加工品の生産・販売、異材質結合関連商品、金型の設計・製造、健康・美容関連商品 |