株式会社金冠堂 ~『キンカン』でお馴染みの医薬品メーカー。2016年で創業90周年~

事業を継ぐ意識が生まれた衝撃的な出来事

株式会社金冠堂 代表取締役社長 山﨑 充

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事業を継ぐ意識が生まれた衝撃的な出来事

【山崎】

幼少のころはどんな子だったかなと考えると、意外と小さい頃は引っ込み思案で、というのは私の家というのは、いつも社員たちがいて、正月も2日から社員たちがいて、いつも他人がいるようなそんな家だったですね。そこにでしゃばっていくと怒られますので、いつもなんとなく人の前では引いていたような、そんな子供だったような気がします。 中学に入って、寮に3年間入って、その中でブラスバンドをやって、トランペットを吹いたり、それから、その辺から自己主張ができたはずではないかなと思っています。 スキーは小さい頃からやっていまして、高校ではスキー部でしたし、結構いいところまで行ったんですけども、スキーをやりサッカーをやり、色んなことをして、水泳もやり、歌もやり、考えてみたらなんでも色んな物をちょっとかじった子供の頃だったような気がします。

【山崎】

大学に行って、結局歌にいったもんですから、高校のスキー部も終わって、大学で歌。歌と言うのは、朝から晩まで歌を歌うわけで、うちの業界は結構音楽をやっている人が多いんですけど、私はテノール、オペラをずっと歌っていた。そんな4年間であります。

【山崎】

小学校の2年生か3年生の時に大変印象的だったんですけど、これは民謡だったんですかね、キンカンって昔は民謡名人戦と言って、テレビ局開局よりちょっと前のラジオの時代からずっと民謡を通して、ずっとキンカンをPRしていた、先々代というか祖父、初代が民謡が好きだということもありましたけど、なんかの世界大会だったか日本大会だったか、忘れましたが、もしくはとにかく会社を上げて何かをやる大会だと思うんですけどね。 その舞台の上で、祖父と祖母、先代の初代の専務に呼ばれて、呼ばれてというか舞台の上で、この子が3代目ですみたいなことを言われて。それが多分小学校2年生か3年生ぐらいのときで、ものすごいインパクトがあって、その時に僕は金冠の社長になるのかなと漠然と思ったんですけど、そっから先がまた忘れていたと思いますね。 当然反抗期もありますし、親がやっていることを、あんまり自分の同じことをやりたくないとかですね。音楽の学校に行っちゃったもんですから、なんとかその歌でね、音楽で一旗あげてみたいと思ってみたり、ただその時に父が先ほど初代の山崎栄二が民謡といいましたけど、現在会長をしています父はハワイアンをやっていて、これも16歳ぐらいでギターを始めて、今は84歳でまだギターをやって今だにバンドを組んでいるというそんな人生でありますので。 我が家は音楽一家であって、私も音楽をやっていると。で、私にですね、プロにならなくてもいいと、違います、アマチュアでもプロよりうまいアマチュアがいてもいいんじゃないってそんな表現をしたのを覚えていまして、それで踏ん切りがついたというか、そんなことだと思うんですよね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 山﨑 充
役職 代表取締役社長

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