株式会社金冠堂 ~『キンカン』でお馴染みの医薬品メーカー。2016年で創業90周年~

Vol.1 事業を継ぐ意識が生まれた衝撃的な出来事

株式会社金冠堂 代表取締役社長 山﨑 充 (2016年4月取材)

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-事業を継ぐ意識が生まれた衝撃的な出来事-

【山﨑】

幼少のころはどんな子だったかと考えると、意外と引っ込み思案でした。というのは、私の家にはいつも社員たちがいて、正月も2日から社員たちがいる。いつも他人がいる家でした。そこに出しゃばっていくと怒られますので、なんとなく人前では、いつも縮こまっていたように思います。

中学に入って、3年間寮生活を送って、ブラスバンド部でトランペットを吹いたりしていたのですが、その頃から自己主張ができるようになりました。 スキーは小さい頃からやっていまして、高校ではスキー部でしたし、結構いい成績を残しました。ほかにも、サッカーをやり、水泳もやり、歌もやり、考えてみたら子供の頃はいろいろなものをちょっとずつかじっていたような気がします。
大学では声楽でした。スキーは高校までで、大学はオペラです。テノール担当で、4年間朝から晩まで歌い続けたものです。この業界は音楽をやっている人が結構多いんですよ。
音楽といえば、小学校の2年生か3年生の時、とても印象的なことがありました。当社はテレビ局開局よりちょっと前、ラジオの時代からずっと、『キンカン素人民謡名人戦』という番組のスポンサーをしていました。先々代というか祖父、初代が民謡好きだったのがきっかけです。その関係で、何かの世界大会だったか日本大会だったか、そういうものを会社挙げて開催したことがありました。

その時、祖父と祖母、初代の専務に呼ばれて舞台に上がり、この子が3代目ですみたいなことを言われまして。その時「僕は金冠の社長になるのかな」と漠然と思ったと記憶しています。もっとも、当時はとても印象的だったものの、すぐまた忘れてしまったんですが。

当然、反抗期もありますし、親がやっているのと同じことをやりたくないと思っていました。音楽の学校に行ったものですから、音楽で一旗揚げてみたいという希望もありましたし。先ほど、初代の山崎栄二が民謡好きと言いましたが、現在会長を勤める父はハワイアンです。16歳ぐらいでギターを始めて、84歳になる今もバンドを組んでいるんですよ。

そういう音楽一家で、私も音楽をやっていたわけです。ですが、ある時父が私に、「プロにならなくてもいい」と、いや、「プロよりうまいアマチュアがいてもいいんじゃないか」と、そんな表現をしたのを覚えているのですが、そう諭してくれまして、それで将来について、踏ん切りがつきました。

社長プロフィール

President's profile
氏名 山﨑 充
役職 代表取締役社長

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