Vol.2 広告業界を辞めて気づいた新たな市場
―広告業界を辞めて気づいた新たな市場―
【聞き手】
でも、そういった経験をしながら、起業までにはまだ道のりがあると言いますか、転職をしているわけですよね。
【柳澤】
そうですね。
【聞き手】
そのきっかけというのは、何だったのですか。
【柳澤】
広告をずっとやっていきたいと思っていたのですが、1990年初頭のバブルがはじけて、広告業界はどんどん元気がなくなっていったのです。その元気がなくなっていった中で、僕が唯一面白みを感じた領域というのが、コンピューターなのです。ちょうど『Windows』が日本に進出してきて、パソコンや情報化が進むタイミングで、そういうコンピューター関連の広告をいくつか担当させてもらったのです。その経験がすごくあって、これからはコンピューターの世界になるので、もし自分が面白い仕事をやりたいと思ったら、これを早く自分のものにしなければいけないという感覚を強く持ったのです。そういうふうに思っていたところに、たまたま友人の兄貴から、そういうコンピューター絡みの仕事を手伝わないかという話をもらって、思い切って広告業界を辞めて、そちらに転職したのです。
小さなソフト会社で、その会社のマーケティングの手伝いですよね。あとは、外部のソフト会社のマーケティングを支援するようなことをやろうということだったのですが、そのマーケティングの支援をする道具として、インターネットというものが使えるのではないかというのが、その頃です。1994年ですから、まだ世の中にインターネットという話はない時代なのですが、たまたま僕を誘ってくれた社長さんがすごく先見の明のある人で、インターネットの存在を知って、それをビジネスに生かそうということで、そこからですよね。生かすのだったら、もっとサービスとして確立させようということで、色々調べていくと、プロバイダーというビジネスがあるぞと。インターネットに接続させるサービスですね。それを実現しようということで、企画に入っていって、それがプロバイダー事業のスタートになるのです。とにかく、何もなかった時代なので、技術者もいない、インターネットを知っている人間がほとんどいない中で、それを個人に電話回線を使って接続させて、サービスとして提供しようというわけですから、むちゃくちゃですよね。でも、94年の10月1日にサービスをスタート したら、スタートと同時にものすごいアクセスがありました。
【聞き手】
そうなのですか。
【柳澤】
ええ、会員の申し込みですね。
【聞き手】
では、早くからそういうものに注目していた方は、日本にもたくさんいらっしゃったということですね。
【柳澤】
そうですね。もう皆さん、待っていたのですね。インターネットというのは一部の企業や大学しか利用できていなくて。個人にもサービスが開放されていたのですが、とても高くて使えるものではなかったのです。それをかなりの低料金で提供するというサービスだったので、大変な反響でした。
経営者プロフィール
氏名 | 柳澤 安慶 |
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役職 | 取締役 |
生年月日 | 1964年10月20日 |
会社概要
社名 | 株式会社ファンコミュニケーションズ |
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本社所在地 | 東京都渋谷区渋谷1-1-8 青山ダイヤモンドビル(受付:2階) |
設立 | 1999 |
業種分類 | サービス業 |
代表者名 | 柳澤 安慶 |
WEBサイト | https://www.fancs.com/ |
事業概要 | PC・スマートフォン対応アフィリエイトサービス『A8.net』など、成功報酬型アドネットワークサービスを中心に、自社媒体運営、広告代理業等のインターネット広告関連事業を展開。 |