株式会社リエイ ~36年連続増収!“日本式”介護事業でアジア圏を攻める企業が明かす、安定成長の秘密~

“天職”と出会う方法

株式会社リエイ 代表取締役社長兼会長 椛澤 一 (2016年11月取材)

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―“天職”と出会う方法―

【聞き手】

それでは本日は法人向けの福利厚生サービス、そして国内外に介護施設を展開されておられます株式会社リエイ、代表取締役、椛澤一社長にお話を伺っていきたいと思います。それでは椛澤社長、よろしくお願いします。

【椛澤】

お願いいたします。

【聞き手】

学生時代は、起業よりも音楽にのめり込んでいらっしゃったと伺っております。

【椛澤】

今も(音楽は)趣味ですが、自分の中では勤めるという選択肢が全くありませんでした。根拠は特にないのですが、「自分は何かをやるんだ」としか思っていなかったのは事実です。

【聞き手】

大学生の時に就職活動などはされなかったのでしょうか?

【椛澤】

何もしませんでした。だいたい、大学にいる価値を感じていなかったタイプでしたので、中学校でしっかりと勉強すれば世の中のことは全てわかると思っていました。

【聞き手】

音楽の道に進もうというお考えはありましたか?

【椛澤】

ありました。それでその道に進んだのですが、私は比較的客観性があることが取柄だと思うのです。どんな客観性かというと、「自分の才能がない」ということを見極める客観性があるということですね。ですので、それは途中で辞め、何か(別のことを)やろうということで今に至るわけです。

【聞き手】

24歳でレストラン事業を始めたのは、食という事業にご興味があったのでしょうか?

【椛澤】

全くありません。今に至るまでですが、何かこれをやりたいということはありませんでした。ただ、ビジネスをしたいという思いはありました。結局、今に至るまでを振り返れば、それが天職なのです。“人のお世話”や、“ホスピタリティ”など色々な言葉がありますが、いわゆるサービス業が天職だということを、実際に(仕事を)していく中で自覚していきました。

【聞き手】

最初にビジネスを始めた時は、飲食業からのスタートだったのですね。

【椛澤】

そうです。音楽をやっていて、自分の才能は客観的に判断していてました。ただ、お金を稼ぐためにアルバイトをしていたのですが、その店の方(オーナー)が結婚されるため、従業員に営業権を譲ろうということになりました。私などはアルバイトでしたので、そのような話が来るわけがないと思っていたのですが、「やりましょう」と手を挙げてしまいました。資金に関しては、自分の父が倒産したものの、知人も多く、そうした方々の引きで信用金庫に行き、必要な金額をお借りするための交渉を行いました。24歳の子どもでしたが、熱意があると思ってくださったのか、貸してくださりました。その250万円という金額を保証金としてレストランを始めたというのが、昭和47年のことです。ちょうどオイルショックの時でした。

【聞き手】

実際、事業を始められていかがでしたか?

【椛澤】

(事業は)当たりましたね。音楽(をしていた)ということが活きました。業界を知らず、調理経験など(飲食に関わる仕事を)したことが全くないので、とんでもない形のことでもやるわけです。それが当たりましたね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 椛澤 一
役職 代表取締役社長兼会長

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