Vol.2 サービスの究明で広がる事業転換の道
―サービスの究明で広がる事業転換の道―
【聞き手】
29歳まで飲食業を営んでいらっしゃって、このまま飲食業を続けていくとはお考えにならなかったのでしょうか?
【椛澤】
確かに食べることも生活ではありますが、銀座はプライスが高い地域ですし、(私は)上層の部分だけではなく、より裾野を広く一般に広がるような生活サービスをしたいと思っていたのです。それで、30歳を超えた頃に切り替えなくてはと考え、店舗の権利を売却しました。それが次のステップでしたね。お客様も銀座でしたので、斜陽族という感じの方が多く、その中からコネクションも築くことができ、次の業界にサービスをシフトすることができました。当時の日本は高度成長期でしたし、全国的に高速道路の建設ラッシュでしたので、その業界の真っただ中にある舗装業界の方々と懇意になり、色々なお話を聞くうちに、そこに(ビジネスの)隙間があるのではないだろうかと思うようになりました。旧態依然とした中に必要としているものないかと聞いたところ、その方もなかなか聡明な方で、その後も長く付き合いは続いておりますが、「(必要なことが)あるよ」とおっしゃったので、会社をつくろうと思い、設立したのがリエイなのです。しかし設立したものの、何をやるかが決まっていなかったので、(私も)急かすわけです。「会社をつくったので、何か(できること)ありませんか?」と。すると向こうも困惑し、「でしたら、ちょっと食事をつくってもらえないか」と言いました。確かにレストランでつくっていたので、共通項はあるわけです。しかし、銀座で出す食と、飯場と言われる作業宿舎での食は、似て非なるものだと思っていました。しかし、今もそうですが「まずやってみよう」と思い、「せっかく来た話ですし、縁だからやってみよう」ということで、(話を)聞いたところ、「50人、100人の給食なら損をせずに済むのではないか」ということだったので、(仕事を)受けたわけです。
【聞き手】
現場の方は喜ばれましたよね。
【椛澤】
業界にはそういうサービスが当時ありませんでした。今でいうと、アウトソースですね。それほど大きな業界ではありませんが、それでも当時は脚光を浴びている業界でしたので、あれよあれよと、乾いた草原に火を放ったような感覚で(広まっていきました)。
【聞き手】
ビジネスとして成功されたわけですね。
【椛澤】
小さな成功ですが、まさにニッチの中での広がりがありました。
【聞き手】
では次に何をしようかという、次のステージへ進むきっかけは何だったのでしょうか。
【椛澤】
1つに影響を受けるということの怖さは、小さい頃に感じておりましたので、未だに色々なリスクヘッジを行うことは続けています。今度は何を専門分野にしようかと考えると、いわゆる福利厚生だと思ったのです。単純に、作業宿舎で食事を提供しているということは何かというと、これはやはり福利厚生だと捉えられるわけです。福利厚生は全ての業界業種にありますから、そこに広げようというのが次のステップでした。それもやはり最初は壁がありました。「作業宿舎のような食事でしょう」と(言われました)。いわゆる一般企業の独身寮に営業に行った担当者から上がってくるのは、「君たちは飯場の食事をつくっていたんじゃないのか」ということで、断れることがあるということでした。しかし、それはむしろ逆だろうと(思うのです)。(作業宿舎での給食は)それだけ食事に執着する場所での給食です。それ(その要望)にかなっているのですから、むしろクオリティが高いのです、という切り口ですよね。
【聞き手】
今は既に500社近い事業に(給食)を提供されているわけですよね。
【椛澤】
そうですね。およそ結果として、人がやらないところ、それもニッチな領域でビジネスをしているというのは、介護に至るまでのところです。ですので、どちらかというと競争をしなくても来れる(成功する)隙間を見つけてきているというのが、全体感だと思います。それだけですと、にっちもさっちもいかなくなるので、もう少し広い舞台に入っていこうというのが、介護(の領域)だったということです。
【聞き手】
介護に入られたきっかけは何だったのでしょうか?
【椛澤】
介護については、高齢化社会で介護が脚光を浴びたことは確かです。しかし、先ほど“来るものの縁を感じる”という言い方をいたしましたが、周辺にいらっしゃる方々が、「リエイさんこそ介護じゃないの?」とおっしゃるんです。私の中には「なぜ私が介護事業を?」と、介護は全く別のものだというふうにしか考えていなかったのですが、お話を伺うと「なるほど」と思うことがありました。それが、弊社に2つある(事業です)。1980年から介護事業を始めた2000年くらいまでの20年間(続けてきた)、お世話をするという生活サービスが1つ、そして労務集約と申しますか、人を多く雇うので労務管理をしなければならない会社であるという、この2つはまさに介護事業にぴったり合うと(気づいたのです)。お世話をすること、そしてヘルパーという非常に俗人的なサービスであるというところで、まさに弊社は適正があると判断できたわけです。そこから(介護事業)に入っていったのです。
【聞き手】
さきほど、ニッチなところを狙いにいくとおっしゃっていましたが、そこをあえて(ニッチではない業界に)行かれた理由は何でしょうか?
【椛澤】
確かに、今度はニッチではなくなりましたが、弊社の中に「ニッチでなくてもやっていける」というものや、「(ニッチでなくても)やっていく」という気概があって、初めて参入していくものですよね。
【聞き手】
では、社長にとってもチャレンジだったのですね。
【椛澤】
そうですね。第2の創業だと思いました。まさにそうです。第2の創業です。
【聞き手】
実際に始められていかがでしたか?
【椛澤】
だいたいは思惑通りでした。我々の持っているビジネスの資源がしっかりと活きていると思います。
経営者プロフィール
氏名 | 椛澤 一 |
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役職 | 代表取締役 社長執行役員 |
会社概要
社名 | 株式会社リエイ |
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本社所在地 | 千葉県浦安市入船1-5-2 NBF新浦安タワー14・15階 |
設立 | 1980 |
業種分類 | サービス業 |
代表者名 |
椛澤 一
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従業員数 | 4,275名 |
WEBサイト | http://www.riei.co.jp/ |
事業概要 | 企業・法人福利厚生サービス事業介護総合サービス事業海外事業(ヘルスケア・給食) |