Vol.2 窮地を救った妻の存在
―窮地を救った妻の存在―
【ナレーター】
その後、大手食品会社の子会社へ入社。ある卸先でのやり取りをきっかけに商品の売り方を変え、営業成績を伸ばした木村だが、そのやり方への反発の声もあったという。
【木村】
切り身の大きさが例えば10gとか、ピシッと分けて切り刻んで計算すればぴたりと合うはずですが、それを人任せにすると違うとなるものですから、それをやって「では、切り刻んでお届けしましょう」と。それが非常に当たりました。少し調理には遠くても持って来いと。タコは足が8本ありますが、1本ないと800円のタコが500円、半値くらいになってしまいます。でも、目方が減っているわけですから、それで切ればいいわけです。普通、その頃は100gとか150gの切り身を切っていたのですが、それを弁当には40gか50g、小さい切り身でもちょっと入っているとおいしいわけです。そういうものも切っていたら「あまり小さいのは切るな、商売じゃない。そういうのは下請けさんに任せて」と言われました。それでも、今度は寿司ネタのもっと小さいものもやったものですから、あまりにも小さいものばかりやり出すので「お前そういうなら一回、自分で独立してやれ」と。それで、築地に行きまして、築地の業者さんに2年少々お世話になりながら、そういう形をとりました。
【ナレーター】
1979年、後の株式会社喜代村の前身となる木村商店を創業。数々の事業を手がけ、順調に推移していたが、バブルの崩壊で窮地に立たされることになる。
【木村】
銀行が倒産してしまったのです。その当時、私は何十億円、何百億円と借入金がありました。銀行さんが「借りてくれ。借りて不動産を買ってくれ。株も何十億円分もやってくれ」と言うのです。ところがバブルがはじけ、全部損しました。見切り千両で全部売ってしまいました。100億円くらいの土地を持っていましたが、全部返済しました。2年半で、銀行さんも「大変だから返してくれ」と言うので「いいですよ。借りたものですから」と、4500万円まで返しました。10数社持っていましたが、借りたものですからお返ししましょうと。
そうしていたらある時、「そこまで貸したから、今度はもっと金を使ってくれ。10億円とか20億円とか」と、支店長が来て言うわけです。それで、海外に大根の苗を20億円分植えてもらいました。2か月ちょっとで大根は育って収穫しますから、(その時期に)「少しお金を貸してください」と言ったら、「木村さん、大変だ。今、銀行が大変なので貸せなくなった」と(銀行は言うのです)。「貸せなくなっちゃったって……中国でこれだけ植えてしまっているのにどうするのですか」と。しかし、「わかりました」と(了承しました)。うちも会社をいくつも持っていたので、全部黒字なのですけども、運転資金は必要ですが、(資金を)集めて1本残らず買いました。中国の方にも「木村さん、そんな大変な時には半分でいいよ。3分の1も買ってくれたら、もういいの」と言われましたが「嫌だ、約束は全部だ」と。それで全て買いました。少し安くて損しながらも、早く現金化しないとほかの会社が回らなくなるので全部さばいて終わりました。
【ナレーター】
借金を全て返済した矢先、メインバンクの裏切りにあい、再び経営困難な状態に陥ってしまう。そんな中、窮地を脱する原動力となったのは妻の存在だった。
【木村】
当社の専務というか、家内が「お父さん、銀行さんが書き換えに来ているのだけどどうしよう」と(電話で相談をしてきました)。「何の書き換え?」「手形の書き換え」「手形の書き換えならハンコを押しておいて」と、押させたわけです。手形は1回書き換えが済んだら、ずっと書き換えても構わないものです。開店して3ヶ月過ぎたころ、順調でしたのでほかの銀行に行ったわけです。「ちょっとお金を貸してもらえないですか?順調ですし、こっちも返していますし」と言ったら「木村さん、ブラックリストに載っていますよ」と言うのです。「何ですか?」と尋ねたら「木村さん、金利も元金も返していません」と。
「ええ?そんなばかな!」と思い、調べて銀行に行ったところ、手形書き換えに、他に一括の返済、4000何百万円とあったのです。「これは分割なら1年か2年で全部返します。一括はないでしょう」と。書類を見たら、本当に小さい字で「一括返済」と書かれていました。手形書き換えの裏の2つ目にハンコをといっても、こんなに厚いのにそんな前の文面見ませんよね。でも、「ここに書いてあったね」と、女房に少し言ったら、涙を流したのです。私は女房を幸せにするために事業をやったのであって、泣かせるためにやっているのではありません。「わかった、全部返そう」と。儲かった会社もあったけど、それもみんなに分けて独立できるようにして、返済もして、銀行の分もすぐに返しました。
経営者プロフィール
氏名 | 木村 清 |
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役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
社名 | 株式会社喜代村 |
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本社所在地 | 東京都中央区築地4-7-5 築地KYビル6階 |
設立 | 1979 |
業種分類 | サービス業 |
代表者名 |
木村 清
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従業員数 | 1200名 |
WEBサイト | http://www.kiyomura.co.jp/ |
事業概要 | 【すし部門】すし店経営【商品仕入部門】水産物の仕入全般、食材の開発・製造、新商品の開発【海外事業部門】 魚介類を中心に多くの食材を、海外からの製造・輸入を含め広く仕入れ、その卸売を行う |