Vol.1 歴史
歴史(喫茶店のマスターから)
【竹市】
26歳で喫茶店を始めまして、約10年ぐらいやらせていただいて、ずいぶん喫茶店も流行ったんですけれど、働いている人に、たくさん給料が払えないこともありまして、やはり自分の人生と働く人の人生で、お互いに物心両面の部分で、みんなが良くなることのほうが大事だというと、喫茶店では500万円以上の給料がなかなか払えないので、10年後は喫茶店以外のことが、できるように月に1回ずつは東京、大阪、神戸などいろいろな所へ、飲食業のお店をずっと回っていたんです。
そのときにたまたまステーキハウスを見つけまして、そのお店が『ブロンコ』という名前だったんです。そこへ30回くらい通って経営者の人に電話して、それでその人に教えていただいて、FCみたいなのですがそこからが出発で、ステーキ・ハンバーグの店と喫茶店と両方やっていまして、後でノートを見てみますと、喫茶店(の売上)がいちばん頂上のときにそのステーキを始めたもので、当初はステーキの方がもうからなくて、ステーキの方へ利益を移しているような状態だったんですが、だいたい同じくらいの利益になりましたから、喫茶店をやめましてステーキの方へ変わっていったんですね。
【竹市】
以前は客単価が1,700円で、他社がやれないこともやっていたんです。例えばサラダバーをやるとか、炭でステーキ、ハンバーグを焼くといったことです。けれどたくさん店を出すために、そういうことは非常に手間がかかることが多いもので、ステーキは炭で焼いていたものを鉄板で焼いたり、サラダバーをやめるとかして、価格を1,700円から970円までに下げました。
私はそのとき直営で200店舗くらいやりたいと思いましたので、出店もたくさんしたところで、狂牛病にあたりまして、そのときは経営的にも5億以上の赤字を出しましたが、今思うと(それまでやっていたことは)都合が良くて、もう一度自分の商売の原点を考え直そうということで、そのときに自分で一生懸命考えたのが、得意なこと、好きな事をやろうということでした。
高い評価を受けること、高い利益がとれることをやろうと(思い)。もう一度サラダバーを復活させまして、過去970円だった客単価のお店が、約1,700円ぐらいになりました。特別なことがなく、それでお客様の数が減らなかっただけで、ほぼ同じ店舗数で(売上)約53億から84億ぐらいになりました。単価が上がったとしてもお客様に来ていただけたということで、それが大変なときから立ち直れた。理由の1つじゃないかなと思っています。
経営者プロフィール
氏名 | 竹市 靖公 |
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役職 | 元名誉会長 |
生年月日 | 1943年12月21日 |
会社概要
社名 | 株式会社ブロンコビリー |
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本社所在地 | 愛知県名古屋市名東区平和が丘1-75 |
設立 | 1983 |
業種分類 | 小売業 |
代表者名 |
竹市 靖公
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従業員数 | 543名 |
WEBサイト | http://www.bronco.co.jp/ |
事業概要 | 名古屋を地盤にステーキハウス「ブロンコビリー」を展開、店舗はすべて直営店。 |