Vol.1 歴史
歴史
【治山】
我々の会社ができたのは、昭和49年といわれていますが、実は祖父の代からずっとやってまして、祖父の頃は女性ものも男性ものも扱う、雑貨屋みたいな感じでした。それがたまたま、三井造船という岡山の玉野市という田舎町で企業城下町だったのですが、その街には男性社員があふれるようにいたので、当時は女性ものよりも男性ものに特化した方が良いのではないかということで。
父親の代の昭和30年代に、メンズの紳士服に変えたのです。それから昭和40年代にはいり、郊外の紳士服の一大ブームが起こって、我々も火付け役なのですが、そういう形で多店舗展開したような経緯です。
【治山】
いわゆる団塊の世代と共に、郊外型紳士服というのはずっと育ってきました。団塊の世代がいちばん元気が良かったのが、いわゆる高度成長期、昭和40年、50年、60年代で、日本の人口が1950年で約8千万人くらい、2000年で1億2千万人、ですからその間に約4千万人増えているんです。それが一気に我々のスーツ世代にもあふれかえるように出てきました。創業当時はオーダーメイドのスーツが非常に高くて、給料の何か月分という感じだったのです。
それで、父親の世代がもっと気軽に、お手頃な価格で、品質はデパートと同じような品質で、価格は半分以下で出せないかと、ビジネスモデルを作って、郊外型紳士服で、紳士服の量販店、郊外店というのを作ったんですね。
【治山】
創業当時の1号店は1階、2階がお店で、3階、4階が住居なんです。それで商店街のど真ん中にあって、公私混同、プライベートも仕事も一緒という状態でして、もちろん私の母親も一緒に働いていましたが、一緒に食卓を囲んだことは少なかったです。もちろん、父親は3階以上の住居にいるよりも、1,2階の方が多かったような形です。
当時は12月31日の除夜の鐘を聞くまで、ずっと仕事をしていました。夏休みもほとんどなくて、ですから父の背中というか声を聞きながら育ったというような感じです。
【治山】
父親からずっといわれていたのが、「1回、信頼を裏切ると100の力をもってしても信頼の回復はできない」「だから決して信頼を裏切るな」というのは、父親の口癖でした。80年間ずっと信頼をいかに裏切らないかということで人生を歩んできた、という感じでした。
お取引先を非常に大事にする、あるいはもちろんお客様も大事にする、それは企業理念というよりも、人間の生き方、信念みたいなものです。信頼の部分は当社にとっては非常に重要ですね。
経営者プロフィール
氏名 | 治山 正史 |
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役職 | 取締役会長 |
生年月日 | 1964年12月22日 |
会社概要
社名 | 株式会社はるやまホールディングス(旧はるやま商事株式会社) |
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本社所在地 | 岡山県岡山市北区表町1-2-3 |
設立 | 1974 |
業種分類 | 小売業 |
代表者名 |
治山 正史
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従業員数 | 1,207 名 |
WEBサイト | http://www.haruyama.co.jp/ |
事業概要 | 郊外型紳士服専門チェーンで業界4位。地元中国地方から西日本中心に展開。関東へも店舗進出 |