株式会社インターアクション CCD検査用光源装置の大手企業。中国でOEM調達の太陽光関連事業も展開 株式会社インターアクション 代表取締役会長 木地 英雄  (2012年10月取材)

Vol.1 歴史

インタビュー内容

歴史

【木地】

ちょうど1992年に独立しました。当時、光学の開発をやっていて、半導体分野でイメージャーが開発段階でした。それをやり始めました。私のいた会社が光学会社としては古いのですが、電気とかソフトウェア関係があまり強くなかったのです。つまり、その時代には全部対応できなかったのです。当時、半導体の分野は進み方が速くて、お客様に迷惑をかけてしまうなということで、39歳の時に独立しました。

【木地】

やはりリスクはあります。1992年というと、90年にバブルが崩壊したので、当時ベンチャーと呼ばれていましたけれども、口だけでしてね。日本の会社は2年くらい様子を見るのです。それで生き残っていると少しずつ仕事を出します。

ちょうど、バブルが崩壊してやっとみんなが気が付いて、急に冷え込んだ時代でしたので、自分としては国内は2年くらいは仕方がないと、海外からビジネスを狙っていました。

【木地】

一番最初に入ったのが韓国のLGでした。それは研究所の人に知り合いがいまして、「木地さん、こういうの作れないか」というので、テスト機能付の光源を独自に設計しました。それは単発なのですが。

【木地】

その後、テキサス・インスツルメンツ社のDMD(デジタルミラーデバイス)、当時測定に30分くらいかかっていたのですが、当社の装置で2分でできるようにしました。それは大きな装置で5台くらいまで入ったでしょうか、結構高い装置なのですけれども。

そうしたら当時のテキサス・インスツルメンツ社の社長が代わってDSPというのに特化すると、他のは投資凍結だといって、最後の6台目だったかは1台、ボストンでボツになりました。その時、アメリカの人に「アメリカに会社を作らないとだめだよ」と言われました。アメリカに会社があったら年間20台売れていると。結構な装置ですから、20台といえば相当なのです。

ですが、そんなにうまくいって良いのかなと思いました。1年目とても苦労していますので。

【木地】

その後サムスンとかそういうところから、開発してくれないかというオーダーがありまして、光源装置を新たに開発していました。光に関することはすべてやろうと思っていたのです。

【木地】

スマホでもなんでも当時はムービーです。そちらのほうが伸びたというのが真相です。私としては全部を守備範囲に置きたかったのですけれども、そこだけが伸びていったという感じです。


経営者プロフィール

氏名 木地 英雄
役職 代表取締役会長
生年月日 1952年12月1日
出身地 神奈川県

会社概要

社名 株式会社インターアクション
本社所在地 神奈川県神奈川県横浜市金沢区福浦一丁目1番地 横浜金沢ハイテクセンター14F
設立 1992
業種分類 精密機器
代表者名 木地 英雄
従業員数 126 名
WEBサイト http://www.inter-action.co.jp/
事業概要 IoT関連事業、環境エネルギー事業、インダストリー4.0推進事業
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