Vol.1 歴史
歴史
【真田】
僕は元々大学生時代に最初の起業をしてまして、それも成功し、1人で単身東京に出てきて、また新しい会社を作り、それも一時的には成功して。
ところが東京に出てきて最初にやった会社が結局大きな損失を出して、事実上の倒産をし。銀行借り入れも社長が個人で連帯保証し、そして不動産担保をいれて借り入れをするというのが常識的な借り入れだった時代で。
会社が倒産したときに十数億の借金が残り、それを全部個人で背負い込むという形になって。そこから返済に8年かかって、ほぼほぼ返し終えつつあったときに、次何しようかなということで95年くらいから、日本でインターネットのブームが起こり始めて、インターネットのビジネスをやろうと。
インターネットのサービスをいくら考えても、技術が分からなかったので、このままじゃ成功しないなと。
その当時は経営コンサルティング事務所みたいなことをやってたんですが、それをたたんで、技術の勉強するためにインターネットの技術開発をやってる会社に就職しようと散々探し回った挙句、アクセスという会社に入社しました。
そこで営業ぐらいしかできることがないので、営業しながら技術を覚えていったわけですけれども。
営業しに行った先の1つがNTTドコモという会社で、それを受注してきて携帯電話のTCP/IPプロトコルの開発、それから携帯電話上にのるブラウザの開発みたいなことをやりまして。
それのプロジェクトリーダー的な位置づけでやらせてもらいまして、それが後にiモードと言われるものになったんですね。
そして僕はその会社を辞めて、まず最初にサイバードという会社を作りました。これはもうブラウザを売っているよりも、コンテンツの時代になるということで。
サイバードは取締役副社長CTOという立場でやったんですけれども、それをやりながら、その次に携帯電話にJavaのVMがのって、そのプログラムをダウンロードして実行することができる端末というのが、次に現れるんですね。
そのタイミングで、 iモードのブラウザで見れる電話機までは電話機なんですけど、プログラムがロードして実行できるということは、それはもうすでに通信機器ではなくてコンピュータだと。
これは世界最小のコンピュータが生まれるということに我々すごい可能性を感じて、このコンテンツではなくてソフトウェアの会社を作ろうと。
これからいずれ、そういう時代がくるということで作った会社が当時ケイ・ラボラトリーという会社で、それが今のKLabの前身になっています。
このモバイル上で実行できるソフトウェアを作る会社。こういうコンセプトで会社を作ったのは多分世界で我々が最初だと思います。
ただその後いずれ、モバイルコンピューティングがPCを追い抜いて、世界最大のコンピュータ市場になっていくということを設立した2001年当時から我々言っていたんですけど、なかなかそういう時代はこなくて。
それがこの4〜5年前ぐらいからスマートフォンと名前を変えて、世界中でそういう流れが出来てきて、ようやく2001年に我々が夢見た世界が現実のものになろうとしているという流れですね。
僕の1つの持論では新しい事業を始める時に、その事業について一番誰よりも詳しく、誰よりも知識があり、誰よりも現場感があることが多分すごく大事で。
ただ自分で作ることができない、開発ができないものをやっちゃいかんという思いがあって。勉強というか、まずそういう世界に飛び込んで、実地で揉まれるという経験をすることが、成功する上では僕は必要不可欠だと思っていますね。
常に僕が何かやるときは、そこの中に社長自らがどっぷり浸かって、社長自らが初期段階においては一番名プレーヤーにならなければならないと思っていますね。
経営者プロフィール
氏名 | 真田 哲弥 |
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役職 | 取締役会長 |
生年月日 | 1964年9月10日 |
出身地 | 大阪府 |
座右の銘 | 着眼大局、着手小局 |
愛読書 | 『竜馬がゆく』司馬 遼太郎(著) |
尊敬する人物 | 自分にないものを持っている人 |
会社概要
社名 | KLab株式会社 |
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本社所在地 | 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー |
設立 | 2000 |
業種分類 | 情報通信業 |
代表者名 |
真田 哲弥
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従業員数 | 437名 |
WEBサイト | http://www.klab.com/jp/index.html |
事業概要 | ゲーム事業、その他 |