Vol.1 歴史
歴史
【吉居】
モーやん(創業者の山本猛夫)が昭和22年に戦争から帰ってきて、アメリカの捕虜になっていたのです。その時に商才が長けているから、何かないかなという事でパラシュートの生地でネクタイを作ってね、縫製ができる人もいるし、いろいろな人を集めてアメリカ人に売ったと、戦争に行く前は福井からでてきて丁稚奉公して経験を積んでいました。
その時に培った商売の基本があり、帰国して工具屋(山善)を創業しました。
【吉居】
私は途中入社なのですよ。務めていた会社が気に入らないから3ヶ月くらいで辞めたわけです。その時にちょうど大阪市西区を担当していて、セールスで回っていて、中途採用の看板をみて、それで採用試験を受けて昭和38年8月に入社しました。
入社した頃は社員も活気があってこの会社は良いぞと、それで1ヶ月くらい大阪にいて、すぐに九州の福岡支店に赴任しました。その当時はどうしてこの会社に入ったのだろうかと思った事が何度もあります。
それでもやはり自分で切り拓いていかなければならないと。赴任後にすぐに営業に出されて、しかしどこを回るのかもわからない。先輩は地図の得意先の場所を丸して教えるだけ、そこに何々商店とか書いて、ここが山善の得意先だと。
先輩からの案内も引き継も何もない。自分で訪問して挨拶して、本当に勇気がいりました。得意先の下調べなども全部自分でやりました。そういう苦労がありました。
【吉居】
アメリカに赴任したのが1991年でした。海外の業務は工作機械の輸出、これが非常に多かったのですけれども、アメリカの業績が良くないと、それでアメリカに行って立て直してくれということで、説得されて赴任した感じです。
あの時に断ることはできたと思うのですよ。断っていたらどうなっていたか、分からないけれども、おそらく今の私はなかったと思います。その時はもう覚悟しました。成功させて帰ってくるか、失敗して呼び戻されるか、帰って来たら必ず自分の夢というか希望が待っているという感じはありました。
アメリカでいた4年間はものすごくいい経験になっています。アメリカ時代にヨーロッパやあちらこちらに行きました。帰ってきてからは国際本部長を兼務したり拠点も広げてきました。
そういう事ができたのです。実際、他人に聞いているだけだったら、おそらくできなかったと思います。
【吉居】
とうして社長になったのかということはあまり考えませんでした。かといってなるべくしてなったとも思えない。代表取締役副社長という地位に就いてから、もしからしたらやらなければならないのかなというのはありました。
その当時から、会社の3カ年計画やいろいろな事を自分でやりながら、会社は今何がダメなのか、どうしたら良くなるのだろうかと、ということはシミュレーションしました。そして社長になったらそれをやろうと、それで2003年の4月1日に社長に就任しました。
経営者プロフィール
氏名 | 吉居 亨 |
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役職 | 元取締役会長 |
生年月日 | 1940年1月2日 |
出身地 | 滋賀県 |
座右の銘 | 有言実行 『自らの行動を律することや掲げた目標に対し、達成するための一番の近道は「有言実行」することだと考えるからです。有言した以上、人は自分が言ったことを「実行」に移し、実現するために一生懸命になります。(ならざるを得なくなる。)一生懸命やれば、周りから認められ、良き理解者が現れ協力してくれ、自らの努力や周囲の人々の協力で必ず結果はついてくると信じているからです。』 |
会社概要
社名 | 株式会社山善 |
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本社所在地 | 大阪府大阪市西区立売堀2-3-16 |
設立 | 1947 |
業種分類 | 卸売業 |
代表者名 |
吉居 亨
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従業員数 | 3,276名 |
WEBサイト | http://www.yamazen.co.jp/japanese/ |
事業概要 | 工作機械や工具の専門商社大手。住宅設備や家庭用機器も展開。国内外で問題解決サービス強化。 |