Vol.2 MITメディア・ラボ入所の経緯
MITメディアラボへ入所
【杉山】
一応就職が決まったんですけど、いよいよ修士の論文も終わって、2月になったら、うちの教授がですね。おい杉山、助手の口が1つ空いたからお前なれよって。この一言で終わりなんですよ。理系だから、理系ってそうなの。教授が言うことが絶対なんです。
【聞き手】
NOはない、YES or はいなんですね。
デジタルとの出会い
NOはないんですよ。だから、助教授の先生と決まった会社に謝りに行って、すごい怒られて、そりゃそうですよね。4月からくると思っていた人が2月に断りに来るんですから。で、日大理工学部の助手になったんですね。
【聞き手】
そんな形で日大の理工学部の助手になられて、8年間やってらっしゃって。途中はマサチューセッツ工科大学。
【杉山】
これはですね。8年ぐらいたって、自分でもマンネリだと思い始めたんですね。自分の研究はしゅくしゅくとやっていて、もうすぐ博士論文が書けるなと思っていたんですけど、そしたら本当に降ってわいたように日大とMITが共同研究をするみたいなプロジェクトがあるんだよと噂に聞いていて。へぇと僕の中では、小学校の頃からMITは知っていて。理系の天才しか行かないとこだと思っているので、自分の人生にまったく縁があると思っていないんですよ、実は。全く縁がないと思っていたんですけど。 実は関わったプロジェクトっていうのは、バブルの時期だったので、とにかく日本中開発になったじゃないですか。で、佐倉の方に大きな土地があってですね。まだ荒地なんですけど。そこに、成田空港も近いので、国際的な研究所団地を作ろうと。 そうは言っても21世紀はコンピューターの時代だろうから、コンピューター関連の研究所がいいよねって上の人たちがなって、もちろん大きな開発なのでゴルフ場も作ったり、会議場も作ったりってすごい大きな開発なんですけど。 その中で白羽の矢が立ったのがMITのメディアラボだったんですね。メディアラボは1985年にできて、最初にスポンサーをたくさんとると、日本の企業が全部スポンサーになったんですよ。日本とも深い繋がりがあるので、じゃあMITのメディアラボに日本に来てもらうという話で進んでいく中で、それを動かしていた中心人物がミサワホームを作った三沢千代治さん。三沢千代治さんが日本大学理工学部建築学科の出だったので。で、三沢さんが日大に話を持ってきて、実は持って来れそうだと、だけど向こうが言うには、日本人の研究者をMITのメディアラボで研修させないといけないから、日大から人を出してくれという話になったんです。 ちょうど日本大学って100周年記念の頃で、なかなかいいねってことで話がどんどんうまくまとまって。 で、MITのメディアラボと日大で契約ができて、その中に3人の研究者をメディアラボに送るよと。メディアラボとしては、メディアラボ風の研究員に育ててあげるよと。簡単にいえばそんな契約なんですよね。だけどもう1個だけあるのは最終面接はメディアラボを作ったニコラス・ネグロポンテという教授がやりますよと。
【聞き手】
世界的にデジタルコンテンツの。
【杉山】
神様みたいな人ですよね。彼が月に1回は日本に来ていたので、メインスポンサーなので日本が。面接が行われていったらしいんですよ。でもなかなか決まらなくて、12人くらい決まらなくて。いよいよ持ち駒がなくて日大の。 そしたらそのプロジェクトに関わった若い40代くらいの先生が建築学科にコンピューター室にこもっていて、CGとかデジタルサウンドとかやっている助手がいるから彼ならどうかなと言ってくれたんですけど。その時の学部長はどんなやつだって言って、こんな長髪の汚いやつがそんなボストンの有名な大学に出すわけにはいかないんじゃないかという話だったんですけど。結局、じゃあって話になって、それはもう縦社会だから僕には直接来ないわけですよ。うちの教授に話が来て、教授からそんな話がお前にあるよと。まあやってみるかと気軽な気持ちで行ったんですね。87年の6月ぐらいですね。そしたら、僕で。そういう話ですよね。 で、ニコラス・ネグロポンテに聞いたわけですよ。金曜の夕方って最後にみんなで集まってわいわい、週末前に食べて飲んで解散みたいになるんですけど。なんで僕を選んだんですかって聞いたら、そんな詰まんない質問をするやつがいるのかって顔をして、ああそんなことかって顔をして。面接の時にニコニコしていたのはお前だけだと言われて、すっと帰られた。っていうのが本人の理由だったみたいですけどね。 合理的に物を考えるじゃないですか。全体のミッションっていうのはMITのメディアラボはそういう文化があるわけですよ研究室長のね。これを日本に持ってこれるかという話なので、その連れて行く研究員はメディアラボになじまないといけないわけですよ。で、日本人なんだけどMITのメディアラボの研究員みたいになっちゃう人がほしいわけですよ。だから、研究は何をやっているという問題じゃなくて、色々パーソナリティを見て、こいつはたぶん自分の研究室に連れて行ったら、なじむんだろうなと思ったんだと思うんですね。
【聞き手】
1つ1つのチームに受け入れられる技術とか英語力とかが問題じゃなかったんですね。
【杉山】
ニコラス・ネグロポンテはこれまでも日本人の研究者をたくさん受け入れているので、メーカーの方を。日本人の特性を良く知っているんですね。ちょっとシャイすぎるとか。
【聞き手】
私はこれをやるといったらここしかやらないとか。
【杉山】
あんまりコミュニケーションをせっかくなのに全然とらないとか。それで僕が多分髪の毛も長いしニコニコしているから異質に見えたんでしょうね。
経営者プロフィール
氏名 | 杉山 知之 |
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役職 | 取締役 学長 |
会社概要
社名 | デジタルハリウッド株式会社 |
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本社所在地 | 東京都千代田区神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティ アカデミア 4F |
設立 | 1994 |
業種分類 | サービス業 |
代表者名 |
杉山 知之
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従業員数 | 152名 |
WEBサイト | http://www.dhw.co.jp/ |
事業概要 | スクール事業、大学・大学院事業、学校法人、企業ならびに自治体向けコンサルティングサービス事業 |