デジタルハリウッド株式会社 ~日本初!株式会社として大学院を設立。世界に日本のデジタル技術を伝える~

Vol.3 デジタルハリウッド創設秘話

デジタルハリウッド株式会社 取締役 学長 杉山 知之 (2015年4月取材)

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デジタルハリウッド 創設秘話

【杉山】

90年に戻ってきて、新しい研究所をつくるために財団を作ると。というのが当初の計画なんですね。で、その頃で言うと通産省、今の経済産業省。それから文部省、今で言うと文部科学省なんですけど。その両方に共感して頂いて、作ろうと。2年ぐらいかかってOKになったんですけど。許可が下りて財団がいいよとなったのが92年の3月の終わりとかですね。で、できたはいいけど、スポンサーも取れないし、みんな大変な目にあっていたじゃないですか。

【聞き手】

むしろ潮がザーっと引くようにいろんな所が手を引いていくんですね。

【杉山】

もちろん佐倉の土地を開発して、研究所の団地を作るのも凍結とは言われたけど。まあとりあえずないって感じですよね。なので、そしたら困ったなと思って。財団ができて、原宿のマンションを借りて数人で始めるというパターンにはなったんですけど、日大の方からそんなことをやるための目的じゃないから、せっかくMITで色々見てきたんだったら、その成果を生かして教えなさいとか言われて。戻されたんですよね。

【聞き手】

そんなことを経て、今のデジタルハリウッドという学校を作ろうというふうに思われたのは。

【杉山】

ビジュアルサイエンス研究所っていうCGをやる会社を学内に作って。ちょうど部屋があったもんで勝手に占領して。そこで僕はバーチャルリアリティーの研究をしながら、色々案件も受注してやっていたんですけど。そういう共同研究とか案件が入ってくると、人が足りないので、雇いたいんですけど、そういうスキルを持つ人がいない。

【聞き手】

そういう人が世の中にいないわけですよね。

【杉山】

CGアニメーションなんかを作れる人はほぼいなかったので、いる人はもちろんそれぞれの組織が離さないじゃないですか。で、これはやっぱり人を育てるしかないんだろうなと。

【聞き手】

いないならつくっちゃおうみたいな。そういう考え方ですね。

【杉山】

でもね。それも本当に出会いで、それをやっていて、それなりに色々と発信はしていたので。そしたら東京芸術大学の大学院生、油絵科の子が来て。半年後に卒業するんだけど、自分が描いてためてきた油絵が30点くらいあると。これを全部並べることはできません。卒業作品で。でもあなた達がやっているバーチャルリアリティーだったら、自分の美術館をそこに作って、そこに自分の絵をおけますかって言うから、できるよ言ったんですね。じゃあ教えてあげるって話になって。それこそまったくアナログな子なんですよ。芸大の油絵科ですよ。でも半年教えて、みんなで一緒にやったけど。結局ほぼマスターして自分で作ったんですね。あんなアナログな奴にね半年やってできるんだから、絶対できるよって言って。じゃあ学校を作ろうと。そこからは真剣になりましたよね。やれるって感じで。

【聞き手】

いよいよ94年。

【杉山】

そうですね。94年で準備を始めて、元々95年の4月に開校するはずだったんですよ。大体日本では4月に開校でしょ。ところが世の中が動いてきているっていうのは僕らも専門家だからわかるじゃないですか。それで半年早めようと。

【聞き手】

大きいですよね。

【杉山】

大きいです。気持ちとしてはやっぱりね。日が昇り始めたらだれでも上に行くってわかるじゃないですか。だから夜明け前にやりたいなってね。そういう感覚があって。

【聞き手】

もちろんアメリカで色々と見て、必ずこういう時代がくるというのは、あったとしても、日本にはそういう環境は全くないじゃないですか。

【杉山】

日本にもアメリカにもまだないんですよ。一般と言う意味では。研究と言う意味ではあるんですね。研究がいつ実社会に降りてくるかっていうのは、意外とわからないじゃないですか。でも、いよいよワークステーションっていうユニックスの世界ではモザイクっていって。最初のブラウザができてきて、これがいよいよパソコンに落ちるだろうと言われていたんですね。やっとインターネットが世界中の研究所とか大学だけですよ、繋がっているのは。繋がり始めて。そしてもう1つは日本のアーケードゲームですよね町の、その中にリアルタイムCGで動くものができて。それがセガのバーチャファイターというやつとナムコのリッジレーサーっていうレーシングゲームなんですけど。これも家庭用になるんじゃないかというのがあって。これは来るなと。それで夜明け前にやろうと思って94年の10月に開校したんですね。                                                        その年末にアメリカではネットスケープナビゲーターのバージョンン1.0と言う最初のブラウザが出て、パソコン用ですね。日本ではクリスマス商戦のためにセガのサターンというやつとソニーのプレイステーションが発売された。そこからはゲーム業界が一気に3DCGになっていくんです。やっぱり普通に考えると、この世界って1995年から見れば、たどれるんですねこの約20年間で。

【聞き手】

あそこがなんか起点になって全く違う世界に突入したなっていう、そのために半年前に良しやるぞっていうふうにやられているわけですよね。でもこの半年ってすごい大きいとおもうんですよ。

【杉山】

そうですね。まあ始めた時はなんか大学の先生が趣味で学校を始めたって批判されましたからね。出口がない。結局みんなが勉強をし終わるまでには、どこのゲーム会社でも人がほしくてしかたがないからってことなので、全然問題なかったですけどね。

【聞き手】

やっぱり時代を見る目があると言うか、そういう環境にいたとういうのもあると思うんですが。それを実際にだれもやっていない、手をつけていないところで、やろうとおもわれるのがすごいなと。

【杉山】

それがね。なんとかなるさっていう性格で。マイペース、なんとかなるんじゃないと。

【聞き手】

これが来ないはずがないよねって感じですか?

【杉山】

なんでしょうね。基本が楽天的なので、あんまり考えないですよね。そういうことをね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 杉山 知之
役職 取締役 学長

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