Vol.3 マネジメント層を目指した経緯と社長就任秘話
―マネジメント層を目指した経緯と社長就任秘話―
【聞き手】
今までやってこられた中で、ここは大変だったなと思われたポイントが幾つかあると思いますが、マネジメントの部分などはどうなのでしょう。
【宮原】
当時、勤務地限定職というのは、マネジメント職にはいけないのですね。ある程度、正社員を経験しないといけなかったのです。マネジメントは、大学でも勉強していましたし、軍事で士官になるわけですから、それは一番勉強した分野だったのですけども、やっぱりその層にいこうというよりも、いかに現場で実績を積むかという方向に意識が向いていましたね。ただ、神戸支社だったので、1995年1月の阪神淡路大震災の時に、自分に権限がないが故に、自分の部署が義援金や支援金、補助金とかが受け取れない時に初めて、マネジメント層というか、決裁権を持つ役職になりたいと、その時思いましたね。
【聞き手】
それがきっかけだったのですね。
【宮原】
やっぱり権限がないと何もできないということがすごく分かりました。だから、上長が取ってきた予算でいかに効率的にやるか、そして実績を出して、またその利益で拡大、再投資とやってきたのですけれど、新しい企画とか、じゃあこういうことをどうやって補填するのかとか、一時的な単年度のお金も決裁権というものがないと、何もできないなと思って、とりあえずは支社長か部長まではいかないといけないなと思ったのはすごく覚えていますね。
【聞き手】
そうしてやってこられて、それこそ事業部の責任者になられたり、執行役員になられたり、トントンと進んでいかれるわけですけれども。
【宮原】
東京に来てからは出世が早かったですね。
【聞き手】
それだけ人と違う経歴の中で急激に成長されて、トップに立つことができたその要因は何だと思われますか?
【宮原】
違う世界から来ているので、お客様をしっかり見られていたんだと思いますね。やっぱり民間企業は初めてだったし、朴訥な生活を送っていたので新鮮だったし、会社とか、お客様とかのモノの流れを素直に見ているんですよね。
お客様、本当はお金を払うのは母親や父親ですけれど、利益を受けるのは子どもですよね。子どものために良い教材をつくろうという発想が学研はあったのですね。ただ当時の流れからいうと、お金を払うお母様が気に入る商品をつくるとか、お金を払う先生に気に入る商材をつくろうとか、色々な企業あるのですが、学研は常に書店さんとか、取次さんには多少は配慮していますけれど、読者とか教室でいったら、会員さんとか、学校とか園だと子ども達の為にお金を払ってない最終的な受益者のためにものづくりをしているというのが一番大きかったし、私はそれをすごく新鮮に思って、愚直にそれはやっていましたから、それが成果として出てきたのだなというふうには思いますね。
経営者プロフィール
氏名 | 宮原 博昭 |
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役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
社名 | 株式会社学研ホールディングス |
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本社所在地 | 東京都品川区西五反田二丁目11番8号 |
設立 | 1947 |
業種分類 | 情報通信業 |
代表者名 |
宮原 博昭
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従業員数 | 28,162名 |
WEBサイト | https://ghd.gakken.co.jp/ |
事業概要 | 「学研教室」などの教室・塾事業、児童書、学習参考書などの出版事業、高齢者福祉・子育て支援事業、園児用月刊誌や教科書発行などの園・学校事業 |