ミニット・アジア・パシフィック株式会社 ~弱冠28歳で社長就任。靴修理・合鍵作製の『ミスターミニット』を550店舗以上展開~

Vol.2 三菱商事を退職しベンチャー企業へ

ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役社長 迫 俊亮 (2015年10月取材)

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―三菱商事を退職しベンチャー企業へ―

【聞き手】

それこそ、アメリカでも有数の大学に通われていましたので、そのまま世界を変えるというのであれば、アメリカのどこかの企業に入って、そこで経営を学ぶなど、ビジネスマンとして成長していくという道もあったかと思うのですけれども、そういうご選択はなさらなかったんですよね。

【迫】

2つ理由があって、1つ目は当時、アメリカで外国人にビザを出すというのはとても厳しかったので、なかなか現実的には難しかったというのと、アメリカ企業に日本人として入ってしまうと、大体、日本担当にされてしまうことが多かったので、日本とアメリカにしか行けなくなってしまうと思いました。それだったらつまらないので、逆に、アメリカで学んだというのを生かして、日本の企業に入った方が、世界中に行けるという思いから、一旦日本に戻りました。

【聞き手】

実際に日本で戻ってこられて、決めた就職先が今おっしゃっていた通り、世界を相手にビジネスをされる総合商社、三菱商事。エリートが入るといわれている会社にご入社をされて、半年という短い期間でご退社をされたという。

【迫】

すごく優秀な方がたくさんいますし、良い方もたくさんいたんですけども、私がやりたいこととは少し違うなという思いがありました。

【聞き手】

きっかけになったのは、三菱商事に入社をされる前に、いわゆるインターンといいますか、関わりのあったマザーハウスという企業の存在が大きかった。

【迫】

そうですね。アメリカの大学は夏卒業だったので、そこから4月入社までの間に半年間時間があったので、当時マザーハウスが1年目で立ち上げ段階で人が足りないと。たまたま私の知り合いがそこで働いていたので、ちょっと手伝ってくれないかといったことで、インターンとして働きました。

【聞き手】

まだその当時というのは、マザーハウスは事業を始められて間もない頃かと思うのですけれども。

【迫】

まだ一つも店舗がない状態でしたね。

【聞き手】

実際に就職が決まって、日本に帰国されるまでの間というのは、もう完全にそこの立ち上げを任されてやってらっしゃったと。

【迫】

立ち上げを任されているというよりは、私も経験がなかったのでお手伝い程度なのですが、ほぼ休みもなく、毎日朝9時から、深夜、終電以降まで。実際オフィスにも住んでいました。

【聞き手】

そうなのですか。では本当にベンチャーの草創期を経験されたと。

【迫】

キャスター付きの椅子を4つ並べてそこで寝ていましたね。

【聞き手】

そういうのをご経験されてしまうと、それがアウトな人は1日ももたずにいなくなってしまうと思います。そういうことを半年、期限もあってやられてらっしゃる中で、それこそ、そちら側に対する強い想いというのができてきたりするわけですよね。

【迫】

そうですね。何よりも、もともと社会をよくするような事業をやりたいと思っていたので、もうそこにストレートに行けるマザーハウスというのは、途上国から世界に通用するブランドをつくって、途上国を良くしていくという理念の会社であったので、それに向けて信頼できる仲間と一緒に新しい会社をつくっていくというプロセスがとても楽しかったですね。強烈に印象に残っています。

【聞き手】

三菱商事は、本当に優秀な方々がたくさん集まっていらっしゃって、日本から世界へ発信していくビジネスをたくさんやっておられますが、ご自身のやりたいことというのは、そこではなくて、マザーハウスさんで経験されたようなところの方が合っていると。

【迫】

三菱商事は半年しかいませんでしたので、三菱商事全体のことがわかるわけではないので何とも言えないのですが、ただ少なくとも、マザーハウスをやりたいという気持ちの方がとてもあったので、やるなら今だと。これが5年後10年後になったら、また同じフェーズで、同じ仲間と同じ目標を目指してできるという機会は一生失ってしまうことになる。三菱商事がほかにできることがあるか分からないので、今以上にやりたいことというのが明確だったので、そちらを選ぼうと思いました。三菱商事には不満はなかったのですが、やはりそれ以上に強烈にやりたいことがあった。それがきっかけでしたね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 迫 俊亮
役職 代表取締役社長

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