Vol.2 ICT事業へ本格参入した経緯
―ICT事業へ本格参入した経緯―
【大久保】
私が入社5、6年の頃から、実はITのほうに、教育相手は同じですけども、変わったんですけどね。だから直接行くんです。行って教育委員会だとか教育センターだとか、役所に行ってうちにしてくれと。システムをコンピューターのシステムをずっと提供したんですけどね。
現在では実はうちのビジネスの3分の2くらいはそういうビジネスでしてね。
【聞き手】
その立ち上げをご自身が担当されたという。
【大久保】
そうです。今思えばラッキーだったかもしれませんがね。アイコンがパソコンと言われるようになり、そのビジネスを担当したんですけどね。汎用機、ホストコンピューターの時代から、そっちに変わり、ネットワークに変わる。だから多分私の社内もですね、私の担当は官、いわいる学校とかではありましたが最もうちの社内の中では早くITのネットワークの技術をやりました。
【聞き手】
当時はまだまだそういう感覚はなかったんですが、始められた当初、やはりまだそういったところに追いついてないということでいろいろ苦労されたことというのはおありですか。
【大久保】
内田洋行コンピューターは、昭和37年東京オリンピック2年前から製造販売しておりますから、コンピューターをやっている部署はあったんです。ただ我々のような場所ですとか、その他の場所ですとかは、ちょっと遠い存在で見られたので、どうして内田洋行が来るのという話はありましたね。他の教育機器、あるいは事務用機器オフィス家具なら別だけどどうしてコンピュータ機器いやいやこうこうと言って。内田洋行は計算尺、大正14年位からやっていてその計算尺であまりいい利用ではないと今なら言われるかもしれないけれど零戦の設計もそれでされたと。おりふじの。
【聞き手】
そういう土壌があってそれでいわゆるコンピューターの製造販売をやってるということをただ堂々と説明しないと相手はあまりぴんとこないというのはありますね。
【大久保】
そうですねいわゆるその総合電機メーカーさんだとかそういったところが来られるのであればイメージがつきますけども。
【聞き手】
ただあともう1点、内田洋行はコンピュータだったところと、理科の実験器具を昔から教育でやっておりましたんでね。だからわれわれはもともとそういう科学の気持ちを育てるという所でやってきた、コンピュータというのは当然の延長ですし。
【大久保】
あと1つ。私たちは技術だけを売る会社だけはありませんと。技術とわかるけど教育内容もをわかっている会社です。ことは、そのころから言っていましたね。まぁわかってくれるところはわかってくれ、相当新しいお客さんを開拓できまして。
【聞き手】
それというのは、これからの時代はそういったものが絶対に不可欠というふうにご自身の中で革新的なものがあったんですか。
【大久保】
それは思いましたね。自分自身あの時、一番勉強したかもしれないけど、パソコン雑誌月間6冊が7冊位買って読んでね。当時基本的に世の中に出ている話は全部知っていると自信はありましたね。お客さんに対して実はこうこうこうだと。イーサネットというのはこういうものでこういった仕組みであるとかですね。というふうな話をしながら。たまたまそのような時代に巡り逢わせて良かったというのもありますが、結構一番最初にそういうことができたというのはありますね。
経営者プロフィール
氏名 | 大久保 昇 |
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役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
社名 | 株式会社内田洋行 |
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本社所在地 | 東京都中央区新川2−4−7 |
設立 | 1910 |
業種分類 | 卸売業 |
代表者名 | 大久保 昇 |
従業員数 | 956 名 |
WEBサイト | http://www.uchida.co.jp/ |
事業概要 | 学校教育市場への教育機器・教材・コンテンツの製造・販売、ICTシステムの構築、オフィス関連家具の製造・販売、 |