Vol.2 アドバンテックとの劇的な出会い
―アドバンテックとの劇的な出会い―
【ナレーター】
大学卒業後は海外駐在ができるメーカーへ入社。工場勤務を経て念願の海外駐在を果たすことになるのだが、ある悩みを抱えていたという。
【マイク小池】
セントルイスにいた時に、夜間学校で、経営学とかマーケティングの勉強、そして英語は特に作文をしっかりと勉強していました。それを続けているうちに、「ひょっとしたらMBAを取得できるかもしれない」ということが感覚的にわかってきました。そして、運試しに願書を提出したところ合格したのです。ただ、受かったものの、当時は28歳でしたし、アメリカでもう1回学生になることに対し、「本当にこんなことをしていいのだろうか」と悩んでしまいました。そこで大学時代の恩師に相談したところ、素晴らしいアドバイスを頂きました。やはり人生というのは、やれるときにやれることをしないと、できなくなる理由がほかに現れてくるから、やれるときに思い切ってやるべきだと(アドバイス頂いたのです)。ですので、28歳でしたし、ダメもとでいいと思い切って行く決心をしました。
【ナレーター】
MBA取得後、半導体事業で世界トップクラスであるインテルから声がかかり入社。当時をこう振り返る。
【マイク小池】
シリコンバレーと言えばインテルでしたし、世界の半導体トップ企業です。その中で特に当時は日本の半導体がアメリカの半導体をちょうど追い越したというような時期だったので、アメリカの半導体企業が、日本に対してリベンジというか、もう一度巻き返すためにどうしても日本研究が必要だということで、採用がありました。そういう中で、インテルのアンディ・グローブ氏とか、あるいはゴードン・ムーア氏、ロバート・ノイス氏という当時の経営陣の近くで一緒に日本の研究や、対日本カスタマーに対する売り込みなどを、リアルタイムで実際に経験することができた、貴重な体験でした。
【ナレーター】
その後、偶然招待されたアドバンテックのイベントに参加したことが、マイク小池の運命を変える転機となった。
【マイク小池】
当時の社長、プレジデントであるチェイニー・ホーのプレゼンテーションを聞くことができたのです。その時にアドバンテックは、「インテリジェントプラネットの実現」というコーポレートミッションを持っていて、当時でいえば、インダストリアルクラウドという言い方をしていたのですが、それを説明する1枚の素晴らしい絵がありました。今でもその絵は鮮明に覚えています。その絵は、まさにIoTの時代はこうなるということを1枚で描いた絵でした。それを見た時に、これから本当のサードウェーブ、Internet of Thingsの時代が始まると(思いました)。そのために自分はこの仕事してきたんだということに気が付いたのです。そして、翌日、チェイニーの方から「会社に来てくれ」と話しがあり、その1週間後にこの会社からオファーを頂いて来ることになったという、劇的な出会いがあったわけです。
経営者プロフィール
氏名 | 小池 マイク |
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役職 | 元社長兼日本地区総責任者 |
会社概要
社名 | アドバンテック株式会社 |
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本社所在地 | 東京都台東区浅草6-16-3 |
設立 | 1997 |
業種分類 | その他の製造業 |
代表者名 |
小池 マイク
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従業員数 | 229名 |
WEBサイト | http://www.advantech.co.jp/ |
事業概要 | 1) 計測機器の開発、製造及び販売、及び計測システムの開発及び販売 2) コンピュータ機器、コンピュータ部品の製造販売並びに輸出入 3) コンピュータ制御によりシステム開発及び販売 4) コンピュータのソフトウエアの設計、開発及び販売 5) 前各号に関する業務の見積代行、入札及び販売代理 6) 前各号に関連付帯する一切の業務 |