Vol.2 改革を決断させた“違和感”
―改革を決断させた“違和感”―
【ナレーター】
経営企画室長に就任した長澤は、営業と生産の引き渡し価格が恣意的に運用されていることに違和感を覚え、抜本的な改革を決断。長澤が提案した改革内容とは。
【長澤】
当時は儲かっていない会社でした。儲かっていない会社だとどうなるかというと、営業に関しても、工場を持っているからといってトップは「売り上げを上げろ」と言うのです。しかもその時の原価制度、渡している価格について、これが不透明な価格なので、そこに元凶があるのです。
営業は生産側に、会社側に利益が残っていると内心思っているのです。「俺たちは売り上げと言われているから、売り上げを上げればいいだろう」と、安売りしてしまうのです。逆に生産の人たちといった他の人から見ると、営業は安売りをすると。そうすると「営業に本当に原価なんか渡したらとんでもないことになるぞ」と。「100円の原価を100円で渡したら大変だから、150円で渡して50円残しておかないと危なくて仕方ない」と考えるわけです。そうするとこの50円が自分たちにとって保険のようなものだと思っているのです。
生産も営業もそれを薄々わかっているから安売りする。逆に今度また50円を60円とか、こっちも儲かっていないから元をどんどん上げたくなる。この悪循環ですよね。これが、一番私が問題だと思いました。そこを変えるというのは結構抵抗もありました。何せ儲かっていないのですから。
私が提案したのは「値段を一緒にしよう」ということです。原価が100円だったら100円で売り渡す。裸の原価です。そうすれば営業も真剣に売ります。「俺たちが残した利益が全部会社の利益なんだ」ということにしました。「安売りをしたければしろ。残らないものは残らないぞ。その利益であなたたち営業を判断する。売り上げじゃなくて利益だ」と言いました。
一方、生産側であるこちら側は、原価に対していくらコストダウンできたか、これを原価散布図と呼ぶのですが、ここを評価する方式に変えたかったのです。しかし、ここがやはり大番頭さんからすると「危ない」と。ただ、最後はやはり父が「やればいいんじゃないの」ということで、やらせてもらいました。それでうまくいったのです。うまくいくと思っていました。
不信感といいますか、お互いが信用し合っていないわけですね。生産は営業を、営業は生産を信用していませんでした。そんな不信感があったらいい会社になり得ないということで、お互いが全力を尽くしてその足し合わせたものを会社の利益にしよう、と。営業の残したものと、原価ダウンしたもの、生産、両方足したものを会社の利益として確保すれば、シンプルですよね。
経営者プロフィール
氏名 | 長澤 重俊 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1966年5月5日 |
座右の銘 | 積極一貫 |
愛読書 | dancyu (プレジデント社の月刊料理雑誌) |
尊敬する人物 | 小倉昌男 (元ヤマト運輸社長) |
会社概要
社名 | 株式会社はくばく |
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本社所在地 | 山梨県中央市西花輪4629 |
設立 | 1941 |
業種分類 | 食料品・飲料製造業 |
代表者名 |
長澤 重俊
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従業員数 | 420 名 |
WEBサイト | http://www.hakubaku.co.jp/ |
事業概要 | 『十六穀ごはん』『もち麦ごはん』などの、大麦・雑穀を用いた商品の製造、販売 |