【ナレーター】
銀座ルノアールに入社後、各店舗の店長が誇りをもって店舗を守り抜くという姿勢で経営をしていることに感銘を受けた一方で、ストアマネージメントの手法に違和感を覚えたという。
当時、一般社員と同じ立場の中、小宮山が葛藤の末にとった行動とは。
【小宮山】
早く店長という肩書をとってしまおうと考えました。何をしてきたかというと、その時のために今のベースとなった接客のマニュアルとか衛生のマニュアルというものを自分なりにお手製でつくってきました。
割と世代が近い人や、考えが非常に近しい人も中にはいましたので、試行錯誤してマニュアルをつくりながら共有して、「将来こうしていきたいから、一緒に頑張っていこうよ」ということを小さいながらやってきた、そういう時期でしたね。
【ナレーター】
思考錯誤を積み重ねた結果、店長の責務を任された小宮山は、店舗運営のほかにも様々なことに挑戦。
その中で、現在の事業の柱の1つである、『NEW YORKER'S Café』の業態開発の責任者という立場を任されることになる。
【小宮山】
フルサービスもだいぶ下火となった時期だったといいますか、どんどん喫茶店というものの数が少なくなっていました。その理由として、当時のおしゃれさや格好良さといったファッション性も含めたようなカフェが、どんどん増えてきていたというのがありました。
当時は、わざわざこの商品が飲みたいとか、この雰囲気が味わいたいということでカフェが選ばれるような時代になっていたのです。『NEW YORKER'S Café』の店舗は、ルノアールの不採算店舗を鞍替えした形でやらせていただいたものでした。
実は、数ヶ月で大転換と言いますか、真っ赤っか(赤字)が真っ黒(黒字)になったんです。要するに「時代のニーズがこうなんだよ」ということを社内にある意味見せつけたというか、私もその当時必死にやっていたものですから、必死にやればやるほどそういう状況が起こると「ほら見ろ」となるわけですね。
自分の中で天狗になってしまったというのもやはりありました。『喫茶室ルノアール』で成功していた方たちと、よく部長会議など議論する場があるんですけど、生意気にも色々と「ああやったほうがいい、こうやったほうがいい」と、入社した当時のわだかまりといいますか、言えなかったこともそこで言っていました。
「こういうことをやらないと、ルノアールという業態もこのままでは危ないよ」というような話も、その当時生意気ながらしていた時代もあったんです。やはり成功していたから言えたというのもあったのですが、私はそれ以上に会社全体をなんとかしたいという想いがあったがゆえに、そこに気づいてほしいという想いで言っていました。
ただやはり会社の全体の風土とか、そういうことも含めて、バランスということを全然意識していなかったので、最終的には父に叱られるというようなことになりました。また新たな葛藤が生まれてきたということもありましたね。
【ナレーター】
『NEW YORKER'S Café』の業態開発の成功から得た大きな学びとは。
【小宮山】
常にチャレンジというか、進化するというところ。今が良いと思ってしまう人がやはり多いんですよね。現状維持というような。
確かに同じことをやっていれば、自分自身は現状維持、そのままという感覚があるかもしれないですけど、ただ世の中、競合さんがいるわけですから、自分たちは現状維持でいても、他社さんがどんどん強化されていって、どんどん上っていけば相対的に自分たちは下がるということになるわけです。
ですからやはり努力をし続けることによって現状維持くらいになるということだと思うんですよね。