株式会社フライングガーデン ~『爆弾ハンバーグ』が売り物のレストラン『フライングガーデン』を直営展開~

歴史

株式会社フライングガーデン 代表取締役社長 野沢 八千万 

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歴史(料理人のいる喫茶店から)

【野沢】

私自身が料理人だったんです。社団法人全日本司厨士協会認定の1級を持っていますから、当時としては私が一番最年少だったのです。 私の師匠は世界料理オリンピックの団体個人の金メダリストなので、当時としては、私も比較的、腕が立った方だったんです。それで本当はやはりレストランをやりたかったんです。でも、お金がなくて、無一文ではないけれど、父に高校を卒業して2万円もらって、東京に出て行ったのが初めてだったのです。 昭和22年の11月29日が私の誕生日で、29日で29歳になったときが創業記念日なんです。お金がなかったので、レストランをやればよかったんだけれども、レストラン(の開業が)できないんですね。だからつぶれた喫茶店を買って、改装するお金がないから、喫茶店のままでやったからフランス料理が作れない。だからピザあど(軽食を)をやりました。逆をいうと当時、小さな喫茶店が周りにたくさんありました。でも皆ほとんどの(店主の)方が素人。私は一応フランス料理の1球を持っていますし、講師もしていて、当時、群馬県では結構有名な料理人だったので、例えば同じナポリタンを作ったとして負けるわけがない。だからそういったいろいろな面でついてたんです。

【野沢】

最初はステーキハンバーグという名前で売り出していたのです。売上費で8パーセントぐらい売れていたんです。 これはナンバーワンの商品なんですけれど、自分としては味がどうも気に入らなかったのです。だんだん2、3年かけて売れない方向にもっていって1回やめて、それからもうこれはしばらく休んでようと思っていたら、私の次男坊が当時小学2、3年のころです。「お父さん、友達に言われたんだけれど『野沢くん家のいちばんオススメのおいしい料理は何』と聞かれたんだけれど、何」と言われたんです。困ってしまったんです。ないんです。 そのとき少し考えていて、ステーキハンバーグをもう1回チャレンジしようということで、全国のハンバーグを食べ歩きました。それで試作には営業していた弁当屋を閉店して、朝から晩まで肉を1日30キロから50キロぐらい、いろいろな配合のやり方。いろいろな肉の挽き方。または焼き方、いろいろなことを3ヶ月繰り返した。 当然、(外へ)試食もずっと行って、そのころ体重が1年半で15キロくらい太りました。そのときは医者から40代の半ばで間違いなく死ぬと(言われました)。とにかくコレステロール、中性脂肪、尿酸、血尿、血便と、とにかくオンパレードですから、そういった形でいろいろなものを食べていて、大体いいなと思って、たまたまそのとき4店舗だったんですよ。 100キロくらい離れた宇都宮に1件だけポツンとあったんです。そこで実験をしてのです。そうしたらこの爆弾ハンバーグが、売上は低かったのですけれど、ものすごう売れていたんです。売る気はそんなになかったんです。ただひとりで(勝手に)売れていた。よし、これなら磨けばよくなる。それを私は「シンデレラ商品」と言ったんです。一皮むくと、いい商品。そのシンデレラ商品を見つけたのが爆弾ハンバーグだったんですね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 野沢 八千万
役職 代表取締役社長
生年月日 1947/11/29

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