Vol.1 歴史
歴史
【大久保】
法律の関係に進みたかったんだけども、そっちの道に進めなくて仕方なくサラリーマンになったんですね。婦人服のメーカーに入ったんだけれども、そこで人の採用のお手伝いとか人事の仕事をやってたんだけれども、ちょうど3日3月3年とよく言われるんだけどね、3年目のときに僕はその会社を辞めたんですね。というのは、非常に年功序列とか時間に対する評価が大きくて、仕事ができても5時に帰れば基本給だけ。何時間会社にいたからとか、何年勤めたからとか、時間がそんなに大事かなということでね、なんとなく馬鹿らしいなという気持ちになったのが3年目なんだね。
そんなことで今度は基本給も社会保障も一切無いフルコミッションの世界へ飛び込んだんだ。すなわちここは厳しくてね、一日注文が取れないとゼロではないんだね。2千円から3千円お金を持ち出すわけ。1日人間が行動すると2〜3千円お金使うじゃない。お昼食べたり。10日間注文が取れないと2〜3万円持ち出すわけだ。当然会社来れない、という非常に厳しい世界に身を置いたのね。それが僕にとっては楽しくて、ゼロか100ではなくてマイナスからだというところに喜びを感じてね、とにかく本当によく働いたな。前の会社の年収を超えるような月収をもらうような形だったので、役職に就いても非常に短い期間で部下を持てて幸せだったんだけれども、逆にいうと自分の部下はどんどん辞めていくわけね。なぜかというと今言ったように給料がゼロではなくマイナスになるから。そんなことで、その会社は一年中人の募集をしていたわけ。
だけど何か変だなと。少し給料があれば育つのに、という人はたくさんいるんだよ、実はね。だけどゼロ以下なので時間がない、辞めていく、もったいないということで、そこの社長とぶつかってしまってね、給料を払え、という話をしたんだが、「お前にそういうこと言われる筋合いはない」と言うことから、辞めてしまったわけだ。
【大久保】
すなわち、26歳の前で僕は40年続いた日本的なしっかりした会社を辞め、次はアメリカナイズされた会社を辞め、結局僕にとって、企業とは何なのだろうという矛盾があってね、日本的企業は年功序列が強すぎて合わない、外資系は人を使い捨てて合わない、ということで、じゃあどうしようかということで自分で会社を興そうと、いうことで興したのが26の時なのね。そのときにやりたかったことは日本の企業の良さというのは安心でしょ。やっぱり入れた以上は社員が安心して力を発揮できる場を作ってあげたいなと。だけど、頑張った人には老若男女関係なくチャンスあげたいな、ということで年功序列をカットして、身分保障はするけど収入は青天井でやるようなそんな人事制度を作ってみたいという人事屋さんの気持ちがあって、作ったのがこの会社で。
そのターゲットがたまたまだけど、今のNTTさんね。昔は電電公社って言ったんだけどね。そこの仕組みが僕のいわゆる感性に合わなかったわけだ。要するに何なんだ、このスキームは、こんな横暴わがままは許せんと。誰がやったってこんなの儲かるじゃない。こんな仕組みじゃ、ということで、この仕組みを壊せないかなという気持ちから、NTTの仕組みをなんとか崩して、自由化というかな、自由競争の世界を作れないかという思いで始めたのが、僕が26歳のときに始めたこの会社です。
当時、電話機はNTTからレンタルをしなくちゃいけなかったのね。ところが公衆電気通信法という法律を見るとね、1台はNTTの電話機を使わなくてはいけないと書いてあるんだけども、1台はということは、逆に2台目以降は使わなくてもいいということなんだよね。NTTはメーカーではないので、物を作ったNECさんと富士通さんから物を買って、電電公社のマークを貼って、みんなに貸しているわけだ。だったら、作っているNECや富士通から僕が直接買ってきてお客様に渡した方が絶対コストがかからないから安いじゃないか、ということで「これできるんだよな」ということからね、やろうと。その時にふと見た時に、10年間、電話は持つように出来ているのね。ということは、国税庁が決めているリースという仕組みがあってね、当時。リースというのは耐用年数の6割以上と決まっているわけ。10年持つものは6年、5年持つものは3年以上でリースをしなさいという仕組みがあったので、この電話機の業界にリースというのを作った方がいいだろうな、ということで家賃ならば1ヶ月の家賃を払えばあと11ヶ月はタダで住んでも良いですよ、ということを7年目、8年目、9年目、10年目でできるわけ。これメリットじゃない。これを絶対導入したらね、日本中のお客様は今と同じ電話、もしくはもっといい電話がもっと安く入って、しかもある一定期間使ったら12分の1に料金が下がるならば、これはすごいメリットになるなと。これを導入しようということで、その仕組みを作って導入した物が、僕の最初の事業なんだよね。
これは最初からうまくいったわけではないんだけれども、いわゆるあるきっかけで大変な評価を得るようになってね。そして5年間で日本の電話機の半分ぐらいが民間から借りている電話機が中心になったので、法律も「1台使いなさい」と言わなくていいよ、こんなに普及したならということで、電話機というのは誰がどこで作ってもいいと。例えば留守番電話、転送電話、携帯電話。誰が何を作ってもやっていいですよと、本当の自由化ができたんだよね。そのきっかけになったと思っているね。
経営者プロフィール
氏名 | 大久保 秀夫 |
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役職 | 代表取締役会長 |
生年月日 | 1954年10月2日 |
座右の銘 | 「親孝行」 両親がいなければ、今の自分は存在しないから |
愛読書 | ビジョナリーカンパニーⅡ |
会社概要
社名 | 株式会社フォーバル |
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本社所在地 | 東京都渋谷区神宮前五丁目52番2号 青山オーバルビル14階 |
設立 | 1980 |
業種分類 | 卸売業 |
代表者名 |
大久保 秀夫
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従業員数 | 2,367人 |
WEBサイト | https://www.forval.co.jp/ |
事業概要 | IP統合システム、情報セキュリティ、Web構築などを含む情報通信コンサルティング事業と、総合コンサルティング、海外進出、人材・教育、環境、事業承継などの経営コンサルティング事業 |