幼児活動研究会株式会社 ~事業存続をかけた「10年目の決断」苦悩と再起の成長秘話~

Vol.3 事業存続をかけた創業10年目の大改革

幼児活動研究会株式会社 代表取締役 山下 孝一 (2017年9月取材)

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―事業存続をかけた創業10年目の大改革―

【ナレーター】

その後、事業は順調に推移し法人化。しかし、社員の採用を進める中で山下は厳しい現実を突きつけられる。

【山下】

大学に電話すると「求人票というのがあるから出してくれ」とか、色々と言われました。それで求人票を書くと、驚いたことに2人来ました。面接も何も、「ともかくこういう仕事だ」と話しました。本人たちも「子どもが好きで、体を動かすのが好きだ」と言うので、「それならば」と、その2人を雇ってスタートしました。その2人が、1年経つ2月の終わり頃に、今までで一番嬉しそうな顔して私に「3月で辞めます」と言うのです。「何言ってるんだ、今までいろんな子どもの話をしてやってきたのが、どうしてだ」と聞いたら、「自分たち2人は教員志望で、最初から腰掛けのつもりだった」と。「だから、2人とも採用試験が受かったので辞めます」と、こう言ってきました。

その2人の分を誰かまた雇わなければならないので、新聞広告出したりしたところ、何人かは来るんです。ただ、面接をすると、どういうわけだか、みんな本音でいうと腰掛けなんです。誰一人この仕事をやりたいと来たわけではない。結局、自分が社長としての能力も何もないのを、ただ勢いに任せて雇ってしまったのが間違いなんだと。そもそもそれが間違いだと思いました。

【ナレーター】

会社のターニングポイントとして創業10年目を挙げた山下。会社として、社長として大きく成長ができたと語る、当時のエピソードに迫った。

【山下】

私はよく10年も潰れずに来れたと考えましたよ。これからどうしようかと。その頃から、だんだんこれから少子化に向かうという話がポロポロ出てきました。社員は私に何回か「社長、将来はどうなりますか?」と聞きました。しかし、それに答えられなかった。ここで初めて、人を採用するということは、社員の生活に対して社長が責任を負わなくてはならないんだと、目の前を見て思いました。奥さんに対しても、子どもに対しても(責任を負わなければならないのだと)。ただ給料を払って、ボーナスを払っていればいいということではないんだなと。

それからもう1つは、やはり社員は自分の仕事に対して誇りを持てませんでした。もう1年2年3年しても、やはり毎年教員試験を受けて落ちたから当社にいるという社員もゴロゴロいました。この時に、社長であるからには社員1人1人がこの仕事は立派な仕事だと、素晴らしい仕事なんだと思える会社にしなかったら意味がないと思いました。そのためにはどうしたらいいのか。給料もやはり一流の会社に負けない給料を出すために、売り上げ・利益を上げたい。そこで「日本一を目指そう」と、10年目にして思いました。服装とか挨拶とか、掃除なんかもしっかり見てきちんとやるんだと。これですごく社員の反発を買いました。結果的に半分になったんですけど、そのときの雰囲気は全員辞めるという感じでした。「こんなことをやれと言われるなら、俺たちは嫌だ。辞めたい」と、みんな手を挙げていました。でも、このままいったら、私にとっても、社員にとってもちっとも幸せな誇れる会社にならないと。もともと1人でやったんだから、もし仮に全員辞めるなら、もう1回もとに戻って1人でやればいいんだと、覚悟を決めましたね。社員に言いました。「お前たちはこれからどうするんだ。辞めて他の仕事をするのでも結構だけど、会社に残る人もいるだろう。やるんだったら一流を目指そう。日本一を目指そう。一流を目指すんだから、服装も整えるんだ。辞めてもらうのは結構だ。辞めてくれ」と、はっきり言いました。当時、大阪支部があったんです。10人いましたけども、責任者はじめ、9人までが全員辞めて、新人だけが残りました。だけど、気が付いたんです。残った社員こそが宝なんだと、そう思いました。そしたら残った社員が、今、関西区になっていますけども、私に言いました。「社長、俺はこの会社が好きだから残る。辞めた先輩たちが、辞めなければよかったというような、そういう会社にするよう頑張りましょう」と言ってくれたんです。嬉しかった。「残った社員のために絶対いい会社にするんだ」と思いました。そしたら、会社がみるみる変わっていきましたね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 山下 孝一
役職 代表取締役
生年月日 1946/8/4
出身地 福井県
座右の銘 積小為大
愛読書 蝉しぐれ

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