アパグループ ~どん底からの再起。『アパグループ』誕生の原点~

Vol.2 激動の少年時代

アパグループ 代表 元谷 外志雄 (2016年1月取材)

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―激動の少年時代―

【聞き手】

お父様が亡くなるまでは、ご実家は事業をやってらっしゃったのですね。

【元谷】

事業をやっているときは、豊かだったのです。従業員も100人くらいいましたからね。それで父が病気になり、事業ができなくなって工場を閉鎖して、従業員にも皆辞めていただきました。工場を細かく仕切って、貸間・貸家営業を始めました。当時、資産として持っていた貸家や持ち家も、貸家にしました。工場は細かく仕切って貸間にしました。その修繕と募集、家賃の集金が私の仕事だったのです。

収入をどうやって上げようかと考えました。家賃収入というのは一定のスペースだから、家賃を高くすれば上がるけれど、高くすれば入る人がいなくなり収入が下がる。そうやって考えたときに、中庭があると思いつきました。中庭に居住スペースをつくれば、家賃が取れるのではないかというわけで、子分を集めて、材木工場に行って材木を仕入れてきて、自分たちの力で部屋をつくったのです。

【聞き手】

中庭に住めるように。すごいですね。

【元谷】

あらゆる工夫をしながら収入源を得ていたのですが、父の病院の先生に家を移れと言われました。町屋というのは細長い家で、前と後ろには空き家がたくさんあって光が入らないのです。中庭に入ると少し入るのですが、そこにも部屋をつくったので入らないと。ですから転地療養をして、もっと日が当たって風通しの良いところに変わらないと結核は進行して悪くなるよと言われて。仕方なく町の中から少し郊外に家をつくりました。

つくると言っても、お金が十分というわけではなかったので、古い家を買って、解体して持ってきて移築しました。ちょうど1月か2月頃の寒い時で。まだ十分な資金がないわけですから、自分が住んでいたところを貸して入ってくる家賃を生活費の当てにするために、新しい家ができ上がるのを待ちきれずに、早めに移りました。お金がなかったせいもありますが、完全にでき上がる前にもう引っ越しをしたのです。

そんなこともあって、壁というのは荒壁の上に仕上壁を塗るときれいになって、隙間から風が入ってこなくなるのですが、冬だとそれを塗るのに時間がかかるわけですよね。それが終わらなければ、自分は住めなくて元の家を空けられず、そうすると家賃が入ってこない。それで引っ越したのですが、寒かったのですよ。

【聞き手】

石川県ですものね。

【元谷】

最初の日は、朝起きたら布団の上に隙間から入ってきた雪が積もっていたのですよ。

【聞き手】

結核は違うかもしれませんけど、風邪をひいて別の病気になってしまいそうですよね。

【元谷】

父はもちろん、家族全員が寒いのです。それではいけないと、一家を挙げて、古新聞にのりを付けて、壁に貼って、隙間から風が入り込むのを防いだのですよ。非常に豊かな家庭に生まれながら、父が病気になって、病院の医療費を払うために色々あった貸家を一つずつ売って、それを売り尽くすと今度は工場を細かく仕切って、間貸しをして。自分がいるところも家賃がたくさん取れるし、医者からも風通しが良く日の当たるところに行った方がいいと言われ、小さい土地を買って、新築ではなく移築して家をつくって、自分のいたところを高い家賃で貸して収入の足しにしました。順番に売り繰りですよね。そこが一番苦労したと思うのですよ。元は従業員が100人もいる、いわば大金持ちだったのですよ。

【聞き手】

豊かな生活から一気に貧しい状態に。

【元谷】

「絹着たり、こも着たりだわ」と母がよく言っていましたね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 元谷 外志雄
役職 代表

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