Vol.1 幼少期~学生時代
【聞き手】
それでは本日はですね、誰もが一度はお世話になった事があるのではないでしょうか。このジャポニカ学習帳を作って半世紀以上というですね。ショウワノート株式会社片岸社長にお話を伺っていきたいと思います。それでは社長、よろしくお願い致します。
【片岸】
はい。よろしくお願い致します。
【聞き手】
まさにこのノートで学生時代育ったと言っても過言ではないというところで、代表的なこういった物を作ってらっしゃる御社なのですが、今日はこういった御社が作ってらっしゃる物の商品に対するこだわりももちろん、片岸社長ご本人についていろいろと掘り下げて伺っていきたいなと思っております。宜しくお願い致します。
【片岸】
宜しくお願い致します。
―幼少期~学生時代―
【聞き手】
社長はお生まれはどちらでいらっしゃいますか。
【片岸】
私は富山県です。
【聞き手】
こちらのショウワノートさんの本社のある富山。
【片岸】
本社に近いですね。昔このジャポニカを見ながら、ああこんな会社があるんだなと思いながらいただけで、別にここに入ろうとは全然思ってなかったですね。
【聞き手】
そうなんですね。じゃあもう会社の近くで生まれ育っていらっしゃって幼少期はそちらで過ごされたと。いつ頃まで富山にいらっしゃったんですか。
【片岸】
高校を卒業するまでですね。
【聞き手】
なるほど。富山のご実家でずっと育って、子供時代はどんなお子さんだったでしょう。
【片岸】
なんだろうな。僕は、母親と祖母が音楽をやっていましたから、ずっと音楽クラブでしたね。
【聞き手】
では、どちらかと言えば文化系だったと。
【片岸】
ブラスバンド部でしたね。
【聞き手】
そうなんですね。
【片岸】
中学、高校は。
【聞き手】
高校生まで富山にいらっしゃって、大学からはどちらへ?
【片岸】
東京です。
【聞き手】
東京で大学時代を過ごされた。ちなみにその大学生の時、就職活動をしようかなという風に考えられた時はどういう業界、どういう会社に興味を持たれたんですか?
【片岸】
いや、僕はね。どこに入ろうというよりも、どこが入れてくれるかな、というレベルでしたから、あのショウワノートという頭はひとつもなかったですね。ですから、当時入ったのが卸の商社ということでしたから、文房具の卸商社に入りまして、ショウワノートの商品を扱っていたというのがきっかけですね。
【聞き手】
そうなんですね。いつ頃ご転身されたのですか?
【片岸】
これが、当時は問屋不要論というのがありましてね。やっぱりメーカーと売り場が直になるだろうと流通が、非常にやっぱ問屋さんというのが危機感がありまして、ですから私はこれからは、メーカーの時代だと思いましてね。できればメーカーに行きたい、と思った時に、そういえば地元のショウワノートがあるなと。行ってみたいなと思って中途採用試験を受けに行ったんですね。
【聞き手】
それがおいくつの時ですか?
【片岸】
それが25歳かな。ちょうど、ショウワノートから募集が入ってたんですね。それで募集の広告を見て、じゃあちょっと行ってみるか、みたいな。
【聞き手】
でも当時は東京にいらっしゃったわけじゃないですか。今、大学から出てらっしゃって、ビジネスの日本の中心地というと東京で、そこでやってらっしゃった環境がある中でやっぱり地元のメーカーに戻ろうと思われたのは、それだけ会社に魅力があったんですね。
【片岸】
というよりもね、やっぱり学習帳ジャポニカを売ってる会社だっていう事とキャラクターグッズがたくさん色々あっておもしろそうだなというのが正直なところですよ。多少ミーハーな部分ですよね。当時ピンクレディの商品をたくさん売ってたのが、ショウワノートだったんです。
【聞き手】
持ってました。
【片岸】
そうでしょう。
【聞き手】
使ってました。
【片岸】
キャンディキャンディですとか、そういった商品が多かったですね。
経営者プロフィール
氏名 | 片岸 茂 |
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役職 | 代表取締役会長 |
会社概要
社名 | ショウワノート株式会社 |
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本社所在地 | 富山県富山県高岡市佐野850 |
設立 | 1947 |
業種分類 | その他の製造業 |
代表者名 |
片岸 茂
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従業員数 | 170名 |
WEBサイト | http://www.showa-note.co.jp/ |
事業概要 | ジャポニカ学習帳他各種学用品、キャラクター・ファンシー文具、医薬部外品および日用品雑貨の製造販売 |