ChatWork株式会社 ~205以上の国や地域で10万社以上が導入。ビジネスツール『チャットワーク』展開。~

Vol.1 プレッシャーと戦い続けた少年時代

ChatWork株式会社 代表取締役 山本 敏行 (2016年7月取材)

[もっとみる]

プロローグ

【聞き手】

それでは本日は日本初のビジネスチャットツールチャットワークで世界へ挑戦していらっしゃいますChatWork株式会社取締役山本敏行社長にお話を伺いたいと思います。それでは山本社長宜しくお願い致します。

【山本】

宜しくお願いします。

ー プレッシャーと戦い続けた少年時代

【聞き手】

お生まれは大阪。

【山本】

大阪の寝屋川というところでして、大阪の中でもローカルなところなんですけど。そこ生まれです。

【聞き手】

高校生くらいまでは大阪に。

【山本】

そうですね。大阪桐蔭高校というところをでまして、東京の方に大学へ行きました。

【聞き手】

ご自身はスポーツなどはされていたんですか。

【山本】

はい。日本拳法というですね。格闘技をやってまして。

【聞き手】

武道の方ですか。

【山本】

武道の方ですね。それの主将をしておりまして、全国大会を優勝するぞみたいな、そういう感じでやってました。

【聞き手】

将来はご自身も何かしら経営をすると、会社を作るイメージだったんですか。

【山本】

そうですね。僕が2歳の時に父親が脱サラして会社をつくりまして、家に社長って書いたコップがあったんで。それで毎日お茶を飲んでいて。小学生のころから社長になるのが普通といいますか。どっちっていうとそっちしか知らないみたいな。感じでやってました。社長になるのが普通と。

【聞き手】

実際にお父様から期待があると感じ始めたのは高校生ぐらいの時、大学生くらいの時。

【山本】

いや小学生の時ですね。

【聞き手】

小学生の時から。

【山本】

小学生くらいの時に、もう先祖のプレッシャーみたいなのがありまして。会ったこともない先祖のプレッシャーが結構きてまして。父親がお前のおじいちゃんはこんなにすごかったとか、お前のひいおじいちゃんはこんなにすごかった。お前のひいひいじいさんはこんなにすごかった。その山本家の長男やぞ。みたいな。そういうプレッシャーを小学生のころから受けてまして。だれもあったことない先祖からプレッシャーを受けていたみたいな。そんな感じ。

【聞き手】

一角の人間にならなければならないという。

【山本】

何か成し遂げないといけないというプレッシャーがなぜか小学校の頃からありました。

【聞き手】

できのいいお子さんだったんですか。

【山本】

いえいえいえ逆に反発していましたね。もう中学生くらいのときから、勉強はしなくていいから、英語とコンピューターだけやっておけと。言われたんですけども。体育会系で。英語なんか全くやらない。ま逆をやってました。スポーツしかしない。

【聞き手】

それは多少反発心があって。

【山本】

なんでそんな英語とコンピューターやらないと行けないんだと。今思えば20年以上前にそんなことを言うというのは結構先見の明があるのかなとおもうんですけど。今はIT企業の社長をやって、シリコンバレーにいて。両方ともその時に必要だったことをやっている。苦しみながらやっているという感じです。

【聞き手】

お父様は予知されていらっしゃったのかもしれないですね。

【山本】

ですからもっと早くやっておけばよかったと今になって思いますけども。それが大切だというのが頭の中にあったので。いまそれをやっているのかもしれません。

【聞き手】

ご実家というか、お父様は音楽の世界で起業されたという。

【山本】

そうですね。

【聞き手】

音楽をやっていらっしゃったのかなと言うイメージだったんですか。そうではなかったんですか。

【山本】

逆に音楽スタジオでは大阪ではナンバー1と言われるようなスタジオなんで。父親的には音楽にはまり始めると心配なところもあったんですかね。逆にさせないような感じで、大学卒業するころに急に継いでくれという話になったんですけども。急にそんなことを言われてもみたいな感じで、継がないようになんとか学生時代の間にビジネスを成り立たせないとって感じでがんばってました。

社長プロフィール

President's profile
氏名 山本 敏行
役職 代表取締役
生年月日 1979/3/21

応援メッセージ
この社長に直接提案