Vol.2 ITとの思わぬ出会い
―ITとの思わぬ出会い―
【聞き手】
そろそろ実家の家業を継いでほしいみたいなことがあったと。
【山本】
大学生の頃に父親は一度就職してからもどって来てもらおうみたいな感じで思っていたみたいなんですけど。その卒業するころに、僕はもう自分でビジネスをやっていて、告白したんですけど。自分でやって行きたいと。あかんと。とことん怒られまして。7時間くらい説教されましたね。それで根負けしまして。いますぐうちの会社を継げと。
【聞き手】
学生であるにも関わらず。
【山本】
学生を卒業する直前だったんですけど。でも自分のビジネスをやっているんだと。そんなものは辞めなさいと。という形でやめさせられそうになったんですけど。継ぐから続けさせてほしいと。半分ずつでやらしてほしいと。という形で了承を得まして。大学卒業と同時に大阪に戻って。大阪の父親の音楽スタジオで働きながら、自分の仕事もやるということをしていました。
【聞き手】
その当時はどういうビジネスを。
【山本】
当時はですね。ホームページの売り上げアップを支援するようなサービスをしてまして。今みたいなヤフーとかグーグルみたいな検索エンジン2つとか3つくらいでなくて。当時は何百個もあったんですね。そこに登録するような支援したりだとか。どうやったらアクセスが増えるかアドバイスするようなコンサルティングみたいな事業をしていましたね。
【聞き手】
やっぱりITのビジネスをやろうと思ったのは、これからはITの時代だからですか。
【山本】
そうですね。ITと全く縁がなかったんですけども。弟が真逆で、オタクといいますか。本当にずっとゲームしているような弟で。僕はずっと体育会系でみたいな。ずっと弟は部屋から引きずり出して外で遊ばせるというのを中学、高校とやっいたんですけど。ある時父親に怒られまして。この日本を作っているのはオタクやぞと。怒られまして。えっみたいな、どっちかっていうと僕が褒められる側かなと思っていたんですね。勉強は進学校行って、部活で主将をやって、彼女もいて。健全な高校生。弟は部屋から1歩もでないずっとコンピューターをやっている。健全な高校生は僕だなと思っていたのに僕が怒られたということで、今までは弟を引きづりだすだけだったんですけど。弟の部屋に入って、どんなゲームをやっているのかと聞いたところ。飛行機の対戦ゲームをやっていると。この飛行機はインド人で、この飛行機はアメリカ人で、この飛行機はおれだと。対戦しているんだと。大阪の寝屋川に20年以上前に何を言っているかわからないと。ホームページがないような時代だったんで。
【聞き手】
いわゆるオンラインゲーム。
【山本】
オンラインゲームをやっていたんです。ADSLもないような時代で電話線のピーヒャラヒャラの時代にインド人とアメリカ人と対戦していたんですね。
【聞き手】
すごいですね。
【山本】
なんじゃこらと衝撃を受けまして。このパソコンと電話線があったら世界中と繋がるんやと言われて。これだと思ったんですね。おれはこれを使って何かしたいみたいな。思いは強いほうだったんで。このパソコン貸してくれみたいな。とにかくおれはこれで何かをしないといけない。で、取り上げまして。そこで、今の売ります買いますのヤフオク、メルカリみたいなもので。物を売ったり、買ったりを親のIDを使って、やっていたんですね。こんな高校生の僕でも40代50代の方と対等にビジネスまでいかないですけど。やり取りができて。ありがとうございましたと感謝のメールがくるみたいな。それが楽しくて仕方がないと僕はこれで生きて行くんだと。そのあと弟の所に新しいパソコンが買われてくるみたいな。
【聞き手】
ビジネスの種といいますか。そう言ったところもお父様の影響とか、周りの身近な方の影響が大きかったんですね。
【山本】
そうですね。意図していたかは分からないですけど。それで自分は始めましたね。ずっと物の売り買いをネットでやってましたらね。どうやったら売れるかをずっと考えてましたので。2000年のドットコムバブルの時にホームページがすごい中小企業に普及した時に、僕から見るとずっと5年以上やっていたので。もっとホームページをこうしたら売れるのになって。もっとこうしたらアクセスが増えるのになってすごい手に取るようにわかったんですね。これがビジネスになるかもしれないと思って。その時期を創業として。ビジネスを始めました。
【聞き手】
いつぐらいまでそういう状態が続いたんですか。
【山本】
2年半ほど、ずっとそういう状況が続いていたんですけど。自分の事業が大きくなってきたので。父親に自分でやりますということで言いました。
【聞き手】
自分のやっていること1本でいきますと伝えた時はどうだったんですか。
【山本】
父親は基本的に何を言ってもノーという人なんですね。父親を説得するのは僕の中では日本を説得する方が楽なんですね。そのぐらいノーと言われるです。ただ本当にこれをやりたいとかって迷いがないような時は数年に1回あるかないかのことは、わかったというんですね。それはだから、この自分の事業をやって行くという時はわかったと。
【聞き手】
これは大いなるプレッシャーで絶対失敗するわけにはいかないって感じ。
【山本】
そうですね。失敗するわけにもいけませんし。失敗しないと確信もあったんで。それに集中してやりましたね。その後はどんだけしんどくても。楽しくて仕方がなかったですね。1日の半分くらいしか仕事ができなかったので。1日中自分の仕事ができるってどんだけ幸せなんだとおもいました。
経営者プロフィール
氏名 | 山本 敏行 |
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役職 | 元代表取締役兼社長執行役員CEO |
生年月日 | 1979年3月21日 |
会社概要
社名 | 株式会社kubell(旧ChatWork株式会社) |
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本社所在地 | 東京都港区南青山1-24-3 WeWork乃木坂 |
設立 | 2004 |
業種分類 | 情報通信業 |
代表者名 |
山本 敏行
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従業員数 | 523名 ※ 2024年6月時点 |
WEBサイト | https://corp.chatwork.com/ja/ |
事業概要 | ビジネスチャット事業、周辺サービス・新規事業の開発運営 |