株式会社八天堂 ~倒産寸前から復活!奇跡の『くりーむパン』誕生秘話~

Vol.2 失意のどん底で括った覚悟

株式会社八天堂 代表取締役 森光 孝雅 (2017年4月取材)

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―失意のどん底で括った覚悟―

【聞き手】

いわゆる外側から見ていた時と、実際に中に入ったときのギャップは何かありましたか?

【森光】

私の父が(経営していたのが)1店舗でした。和菓子が厳しくなって、洋菓子を父が取り入れて、和洋菓子としてやっていたのですが、洋菓子店もどんどんこの町にもできてきて、なかなか経営状態も厳しいと聞いていましたし、私も見ていたらわかりますので、このまま跡を継ぐだけでは厳しいと思っていました。そして継ぐときにはパン屋になろうと私の中では決まっていましたので、業態を変更して次のバトンを受けていこうと。バトンを受けてすぐに社長になったわけではないのですが、私が先頭に立ってやっていくよというバトンをもらったのは、そういう気持ちでもらいましたので、それは父も理解してくれて、どんどんパンの方で頑張ってくれという言葉を投げかけてくれたのを思い出します。

【聞き手】

実際に店舗をつくり、広島市内に進出していった後はいかがでしたか?

【森光】

簡単ではなかったです。私が帰ってきてパン屋になった時は時代が非常に良かったのです。外部環境が良く、追い風でした。コンビニエンスストアの大手さんもこの三原の町には1軒もなかったですし、時代も良く、パン屋さんも少なかったので、非常に外部環境がよかったので、開いたらどんどんお客さんが来てくださいました。何も経営の勉強も心配もせず、ただパンをつくれば買っていただけるという時代でずっと続けていたものですから、若気の至りではないですが、1人でも多くのお客さんに食べて喜んでいただきたいという思いが先行したために、隣の尾道や竹原などにどんどん出店し、気が付いた時には13店舗くらいになっていました。

【聞き手】

そこだけ見れば順風満帆ですね。

【森光】

ええ。ですが、10年くらいの間にそこまで一気にいってしまいまして、気が付いていたものの途中で振り返ってみると、最初の1店舗目、2店舗目の売り上げが減ってきていたんです。中には赤字店になっている店舗もあったのですが、それでも店を出せば、トータルの売り上げが増えて利益がなんとか残るということで、次は14店舗目を自分の修行先である神戸三宮に出そうと考えました。糸が切れた凧のようでしたが、憧れの町でそこで修行したということもあって、どうせ勝負をするならそこで勝負をしたいと本気で考え、そういう計画に入っていきました。

ただ、もう時代背景も変わっていますし、つくった店が赤字になってきているという状況の中でも、前しか見ていなかったので、マイナスの原因を何も手当せずにとにかく突っ走ってばかりいたので、そこからガタガタになっていくのです。その中で融資担当の方が弁護士の先生のところに私を連れて行ってくれたのですが、弁護士の先生から、それこそ開口一番に「社長はパンをつくれるんですか」という投げかけがあって、「私はパンをつくることしか取り柄がありません」と答えたら、「そうしたら、破産するのでもこういった方向があるから」と渡されたのが民事再生法の(資料)でした。

【聞き手】

いきなりですか?

【森光】

ええ。本当に行ってすぐくらいでした。民事再生法の方向で行こうと言われたときに、初めて頭をハンマーで殴られた感じでした。

【聞き手】

外側から見れば、もうこんなところまできていたのかというショックがあったのですね。

【森光】

そうです。初めてその時に本当に気づきました。

【聞き手】

その時に落ちるところまで落ちたという感じですか?

【森光】

落ちるところまでどんどん落ちていく中で様々な気づきをさせてもらいました。私は、今まで全部自分がやってきた、自分がつくってきたと思っていました。しかし、皆さんに支えられて皆さんのおかげで今があるのだなということを、色々な場面で気づかせてもらっています。本当にこんな私でも、親も妻も、社員も支えてくれています。自分1人では何もできないのです。ここですね、原点は。今の信条ではないですが、ここなのです。「よし、ここから、自分は必要とされる人間になっていかないといけない」。恩返しではないですが。別れていった社員を含めて、直接できないにしても、間接的に恩返しができるような経営者、会社になっていかないといけないという思いにさせてもらったのはそこですね。覚悟を決めることができました。

【聞き手】

それは今振り返るとすごくいいきっかけだったということですね。

【森光】

今振り返ると良かったです。今振り返ると全てがプラスになっていますね。そういった成功体験もありますし、もちろんどん底を味わったというのもあります。ですから、経営者として、本気で学んでいかないといけないということに気付かせてもらったのはその時です。そこからですよ。だからそれがなかったら今も危ういと思います。今がなかったと思います。

【聞き手】

その時はお店の数は何店舗でしたか?

【森光】

その時期は、2店舗くらいになっていましたね。普通2店舗まで減ったら売り上げも難しいですよね。その減っていく中でこだわりのパンの袋詰め(がありました)。パンは棚に置かれていますよね。あのこだわったパンが広島にはありませんでした。ちょうどその需要がありました。地産地消や無添加というものです。しかもこだわっていますから、同じ100円のアンパンでも120円や130円で売れます。もちろん原価も高いのですが、それだけで2割3割違ったら大きいですから、収益もありましたし、売り上げも一気に量販店さんで販売させていただいて、どん底の中から切り抜けていくことができたんです。有難かったです。私がそういう気持ちにならず、あのまま突っ走っていたら、そういった色々なヒントやチャンスをもらえていなかったと思っています。

社長プロフィール

President's profile
氏名 森光 孝雅
役職 代表取締役

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