Vol.2 渡伯と独立
―渡伯と独立―
【鳥羽】
私は独立しよう、金儲けをしようと考えたことがなかったんです。この人のためなら死んでもいいという人に使われたいというのが私の考え方で、何人かの人に使われてきましたがなかなかそういう人に出会わない。最後の最後でブラジルから帰ってきて使われた方がいたわけですが、やはりコーヒーの会社で、得意先というのは喫茶店やレストラン、ホテルになりますが、先輩が他社に取引先を取られてしまったということで、社長が激憤しまして、私が見ている前で往復ビンタでぶん殴ったという。私はそれを見たとたんに「やめた」と思いました。こんなことは許されない。
自分の一つの理想として、「厳しさの中に和気あいあいたる会社を作ろう」という思いで独立をしました。それでお金を借りてきて、コーヒーの製造・卸を始めました。社名は「ドトールコーヒー」。ブラジルで生活していたところがドトールピントフェライス通り85番地。ドトールというのは「ドクター」なんですね。ピントフェライスという方がブラジル医学に貢献したということでその道路に名前がつく。そこに住んでいたこともあり、とっさに社名はドトールとなりました。得意先も技術も、経営のノウハウがあるわけでもない。なんせ27歳の時で、20歳でブラジルに渡り、23歳で帰ってきて、その翌年に独立したということですから。無謀も無謀で、一銭もお金もない状況の中で独立することを先に決めたわけです。こんな無謀な生き方はまずないなと思います。
【齋藤】
何かで読みましたが、毎日お客様が来なくて本当にいつ潰れるかという時に、ふと「潰れることを恐れているから俺は委縮してしまうんだ」と、そうじゃないんだという天啓のようなひらめきがあったというのを読みました。
【鳥羽】
コーヒーの卸をやっていると卸で8畳ひと間ぐらいのところから始めたわけです。何ひとつ他社に優れるものは何もないんです。したがって売ろうとする意気込みだけでまわるわけですが、どこも明日潰れるかもしれない会社から買ってくれる人っていないんです。
神宮外苑のすぐ近くに住んでいたものですから夜は気持ちを静めるために神宮外苑の中をぐるぐるまわってそれから寝るということが何日か続きました。3日か4日目にはっと気づいたんです。潰れる潰れると思うから心が委縮する。心が委縮するから、思い切って仕事ができない。それに対して、明日潰れていい、今日朝から晩まで体が続く限り働こう。翌日になるとまた明日は潰れていい、今日朝から晩まで体が続く限り働こうと、明日を考えないんです。今日一日なんです。明日を考えると不安なんです。そういうふうにしていますと自然になんらかの形で人の協力というのは何か得られるという感じがします。いろんな方々が私に力を貸していただいたということがあります。
【齋藤】
若い時は内向的で人見知りするというお話で。しかしその後コーヒーの販売をやるようになるといろんな方から気に入られて。今では大変堂々として社交的だと思いますがその辺の変化は努力して変えられたんですか。
【鳥羽】
ブラジルというのは太陽の明るい国で人種差別のない明るい国である。そこに自分の環境を移すことによって自分の内向的な性格を変えることができるんじゃないかと考えました。自分の将来が不安だということがそういう形に置き換えられたわけです。まず行動して実践。その中で自分が生き抜いてこれたら生きる価値のある人間。生き抜かれなかったら価値のない人間。そして自分を見定めよう。この3つを持ってブラジルに渡る決意をしたわけです。同時にコーヒーの勉強をしたいということもありました。
ブラジルに行くにあたり、そのブラジルに君を将来呼びたいと言ったのは17歳の時に使われていた人なんです。19歳の時にコーヒーの会社に入ってその時に有楽フードセンターという高速道路が初めてできたんです。その下が商店街になった。その中で店舗をその会社がやることになりました。そして君は喫茶店に勤めたことがあるので君が店長をやれと私のところへきたんです。私は内向的で飛び込みセールスというのが死ぬほど嫌いなんです。とにかく飛び込みセールスが死ぬほど嫌いだという。それでも約1年続けてきた時にそれを言ってくれたものですから、一も二もなくそれを引き受けまして、自分で全部店の設計からやって、いちばん最初に感じたのが、喫茶店が世に存在する意義は何だろうといちばん最初に感じたんです。
存在する意義というものがなければこれだけ数多くの喫茶店ができるわけがない。なおかつそれが繁栄することはない、それは何だろうと考えながら感じたことが、戦後間もないということで、多くの人々は心身共に疲れているというふうに私には映ったんです。この方々に「一杯のおいしいコーヒーを通じて人びとに安らぎと活力を提供する」ことが喫茶業の使命だと。喫茶店をやるのに使命感を持ってやるなんて人間はまずいないんです。喫茶店でもやるか、というのが大方の考え方です。
【齋藤】
そのころはたくさん喫茶店があったでしょうからね。
【鳥羽】
そこに使命感を持ったことがよかったことと、一杯のおいしいコーヒーを通じて人びとに安らぎと活力を提供するというのが私の生き方の基本になったんです。今日までずっとそれは同じです。そのことに気がついて商売をやった結果として、人に安らぎと活力を提供する色彩心理とかいろんなものを本で勉強しながら店を作ると半年で成功したんです。成功するとその翌日からこんなちっぽけな喫茶店の店長で終わってしまう。なんとかしなくてはいけないと、毎日自分であせりといいますか。その時にブラジルに来ないかという手紙がきたものですから、その時の決断も大きな決断だと思います。当時海外に出ている人はほとんどいなかった。飛行機で行くなんてことはない。みんな船、行くとなると船です。
【齋藤】
ドルの割り当てもないですからね。
【鳥羽】
1ドル360円の時代で、永遠にブラジルに行って帰ってこれないという状況でも、1人1000ドルしか持てなかった。ドルがなかったので持てなかった。そんな時代でした。
経営者プロフィール
氏名 | 鳥羽 博道 |
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役職 | 名誉会長 |
生年月日 | 1937年10月11日 |
会社概要
社名 | 株式会社ドトールコーヒー |
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本社所在地 | 東京都渋谷区神南一丁目10番1号 |
設立 | 1962 |
業種分類 | 小売業 |
代表者名 |
鳥羽 博道
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従業員数 | 926名 |
WEBサイト | https://www.doutor.co.jp/ |
事業概要 | コーヒーの焙煎加工並びに販売、食品の仕入れ、販売及び輸出入、飲食店の経営、フランチャイズチェーンシステムによる飲食店の募集及び加盟店の指導 |