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Vol.1 日本電子入社の経緯

日本電子株式会社 代表取締役社長 栗原 権右衛門 (2015年3月取材)

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―日本電子入社の経緯―

【聞き手】

この会社がなければノーベル賞は生まれなかったのではないかと言われるような技術立国の日本をを代表する一社であります日本電子株式会社栗原社長にお話を伺います。それでは社長、よろしくお願いいたします。

【栗原】

よろしくお願いします。

【聞き手】

今日は私とても楽しみに参ったのですけれども、私たちの生活のいたるところに御社の技術力が生かされているのではと思いますが今日はそういったところの部分の話だったりビジネスマン時代についてお聞きしていきたいと思います。

【聞き手】

お生まれは茨城県と伺っていますが。

【栗原】

茨城県土浦市ですね。今でもそこに住んでいます。

【聞き手】

そちらから、こちらへ通ってらっしゃる。

【栗原】

ええ。

【聞き手】

そちらから、こちらへ通ってらっしゃる。結構な通勤時間ですね。それは地元を離れたくないという思いからなんでしょうね。では幼少期を過ごされたのは土浦かと思いますがどんなお子さんでしたか?

【栗原】

優秀なお子さん。真面目に。野球をやっていましたけど、あの頃は。サッカーではなくて野球だった。よく野球をしていました。

【聞き手】

ちなみにお父様はどんなお仕事を。

【栗原】

農業なんですよ。なのでサラリーマンになりたいと思ったんでしょうね。

【聞き手】

ご実家を継ぐお考えはなく。

【栗原】

あまり無かったです。

【聞き手】

むしろ茨城からどんどん外へと。

【栗原】

茨城から世界に出たいと(いう思い)はありましたよね。

【聞き手】

大学は明治大学に進学されたんですね。

【栗原】

浪人をする考えはなかったので受かったところに入りました。商学部だったのでビジネス、海外へ行って仕事をしたいというラインには乗っていましたけどね。

【聞き手】

一貫してお考えは変わらず来ているんですよね。大学のいわゆるサークルも。

【栗原】

商業用研究会という研究会です。ほとんど勉強はしなかったですけど。ただずっとそこの仲間たちとは付き合いが続いていますのでそういう交友関係ができたというのは大学時代の財産だと思います。

【聞き手】

大学で英語を学ばれて就職は海外に目を向けられて、考えられたんですよね。

【栗原】

商社とか当時はありましたし。電機メーカーとか、海外に進出したんですね。たまたま日本電子という会社が目に留まった。あの当時日本電子は、製品の5割ほど輸出していましたね。当時は国も輸出を奨励している時代だったんで日本電子も、通産省から輸出貢献企業ということで表彰されたわけです。

【聞き手】

では社長のやりたいことにバッチリはまっていたんですね。とはいいましても技術系の企業で、社長はザ・文系ということで商社とかの方が将来的に見たら上に上がっていけるとは考えませんでしたか?

【栗原】

日本電子は技術主導の会社で、技術系の希望する大学生の就職ベスト10に入っている企業で、文系の私が活躍できる場所はあまりないと思いましたが販売という面では文科系の人間も活躍できるのではと思いました。

社長プロフィール

President's profile
氏名 栗原 権右衛門
役職 代表取締役社長

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