株式会社中村超硬 ~成長の裏に匠の執念あり!世界に誇る、革新的技術の秘密~

Vol.3 人生最大の危機と事業の変革

株式会社中村超硬 代表取締役社長 井上 誠 (2016年7月取材)

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―人生最大の危機と事業の変革―

【井上】

創業者が癌で急死しました。私が32歳の時です。まだ何の能力もなく、経験も積んでいない中で、人生最大のピンチだとは思いますが、それまで中村超硬のために働いてくれていた人たちが何名かいたので、その人たちと一緒にそれまでやってきたことを、まずは忠実に持続すること。そこからのスタートですね。まずは会社をつぶさないことです。年商1億円ほどの売上でしたが、まずこの事業、お客様、仕入先さん、これを守ること。それはたやすいことでは全くなくて、そこからのスタートです。それをやることで精一杯でした。

中村超硬という名前の超硬とは超硬合金という特殊な材料を意味します。3年ほど経った頃、我々は超硬から、その当時に出始めた工業用ダイヤモンドが超硬に取って代わる可能性のある材料として、その加工にチャレンジしようとなりました。その背景には超硬合金という非常に難しい材料を加工するというベースがあったからできたことではありますが、これは後になってから非常に大きな成功につながったと思います。従来は超硬合金でつくっていた同じようなお客様からの図面に、ダイヤモンドに変えるという提案をさせていただいて、提案力というものを私たちの世代が初めて身に付け始めた頃だと思います。

ダイヤモンドをお客様の分野に提案していく中で、大きなチャンスに恵まれました。ダイヤモンドで電子部品をプリント基板上に並べるという産業界のニーズが生まれることになったのです。それは携帯電話です。携帯電話が小さな空間の中に色々な機能を押し込めなくてはいけないということで、電子部品が小型化、チップ化されて、それをプリント基板上に並べるという産業機械のニーズが生まれました。吸着ノズルというもので、真空で電子部品をぱっと吸着して、そこに並べると。ここにダイヤモンドのノズルが使われるというタイミングで、我々はそのダイヤモンドの加工技術を提案するチャンスに恵まれました。これが非常に幅広く普及することになり、ダイヤモンドノズルの販売が、急激に我々の社業を押し上げてくれることになりました。ダイヤモンドノズルの加工技術の開発を始めたのは1995年頃で、その頃の年商が3億円くらいだったのですが、2000年までの6年間ほどで30億くらいまで、10倍も売上が急拡大するようなチャンスに恵まれました。たぶんこのラッキーがなければ、今に至ることはなかったと思います。それによって会社の基盤というものが押し上げられて、そこに集う人々にもさまざまなジャンルの方が来ていただけるようになりました。

ダイヤモンドノズルという、このヒット商品の一番の勘所は電気でダイヤモンドを加工するということです。放電加工と呼んだりワイヤー放電加工と呼んだりするのですが、実は電気でダイヤモンドを加工するという技術の蓄積が世の中に全くない。その放電加工機やワイヤー放電加工機をつくっているメーカーにもない中で、うちの技術者と言いますか、製造の現場の人たちと一緒に加工技術にチャレンジしました。そうすると機械にある条件だけでは、全く加工ができないのですね。機械の中でインプットされていない条件を見つけ出す、すなわち、中のプリント基板を引っ張り出して、回路を変えてもらうようなことまでして、ダイヤモンドに穴をあけたり形を加工したりという技術を社員と一緒に獲得しました。あると信じてつくり出すわけなのですけども、ないものをつくり出すわけですから、やはり何事にそうだと思うのですが、執念と言いますか、思いがなければ仕事は獲得できない、もしくは目標は達成できないということを学んだ頃だと思います。

社長プロフィール

President's profile
氏名 井上 誠
役職 代表取締役社長
生年月日 1954年5月11日

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