Vol.5 病を経て向き合った“未来”
―病を経て向き合った“未来”―
【手塚】
私の中では自分が寝ないでやれば色々なことができると、創業時からそういう思いで突っ走ってきたのですが、ある時社員の1人から「失礼ですけど、社長が死んだら僕たちはどうなるんでしょうか?」という手紙が来たんです。それはもう、痛烈な衝撃というか、そんなことは考えてもみなかったので、とにかく売り上げを上げてそれで給料が払えればほっとしていたという、そういう時代でした。ですから、自分がもし死んだらとか、会社が将来どうなるかということとは、向き合っていませんでした。
そこから、色々と考え方が変わったのですが、でもそんな簡単にうまくいきません。93年の時に私自身が身体を壊してしまい、十二指腸潰瘍でかなりひどい状態になり、色々と通院をしながら持ちこたえたのですが、ある時アメリカのアトランタのショーに行って、その最中に具合が悪くなって病院に担ぎ込まれました。会社の人間も心配して、自分の中で改めて、その1年くらい前に言われた社員からの「社長が死んだら僕たちはどうするんですか」という言葉が頭の中をよぎりました。そこで、色々と本当に考え方を変えなければだめだという決意をして、94年には自分で治療をきちんとした上で企業としての未来を描いて、あとは自分が何のためにこの仕事をするのかという意義をもう一度考え始めようと思いました。
色々と整理しながら自分自身がなぜこれをやっているのか、どういう目標があるのか、社員の皆さんにはどういう未来を描けることができるのか、そういうことを思いながら進めていった結果、自分が行っている仕事自体が本当にお客様のニーズに合うのかどうかがわからなくて、色々なアンケートなどを取らせていただいたんです。好きから始めた起業が、そこから本当に会社として、組織としてどうするか。そしてそれを1つずつ整理しはじめたんです。
その中のアンケートに「日本に『ゴールドジム』をつくってほしい」というアンケートがあったんです。とにかくできることはできるうちにやろうという決意のもと、95年の2月にアメリカにいって、ゴールドジム社と色々と交渉を始めるのです。3人でアメリカに行って、2人にはアメリカのスポーツショップやジムを回りながら新しい商品を探していってもらっている間に、私はゴールドジム社に直接行って、そこで大風呂敷を広げて向こうに関心をもってもらいました。
余談ですが、その頃ゴールドジム社には海外の『ゴールドジム』がなかったんです。だから海外でやるつもりもなくて返事もしてなかったらしいんです。突然来たから仕方なく会ったらしいんです。それで帰ったあとに、イヴァンコ社とかアイアンマン社とか、当時うちがやっていた仕事の社長に連絡して、「あいつ何者なんだ」と聞いたらしいのです。そしたら、イヴァンコ社もアイアンマン社も「チャンスを与えたら何とか日本で頑張ってるよ」と、強く推挙してくれたんですね。それでゴールドジム社の方から日本でやる権利をいただきました。振り返ってみたときには日本が海外1号で、しかもマスターライセンスの世界では最初でした。
そういうことでお客様の声を形にすることができ、当時もジムを細々とやっていましたが、『ゴールドジム』という形で再スタートを切って設備も入れ替えました。それが1995年の7月ですね。
経営者プロフィール
氏名 | 手塚 栄司 |
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役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
社名 | 株式会社THINKフィットネス |
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本社所在地 | 東京都江東区南砂3丁目3番6号 |
設立 | 1986 |
業種分類 | サービス業 |
代表者名 |
手塚 栄司
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従業員数 | 1300名 |
WEBサイト | http://www.thinkgroup.co.jp/index.html |
事業概要 | フィットネスクラブの経営 フィットネス機器およびフィットネス用品の輸入販売および輸出 栄養補助食品および飲料の販売 フィットネス用品店の経営 ほか |