Vol.4 『ピップエレキバン』爆発的ヒットの裏側
インタビュー内容
―『ピップエレキバン』爆発的ヒットの裏側―
【ナレーター】
「THE WELLNESS COMPANY」を経営理念に掲げ、現在、医療用品・健康用品メーカーとしての不動の地位を確立しているピップだが、もとは医療用品の卸販売を事業の柱としていた。
どのような経緯でメーカーの道を歩み始めたのか。
【松浦】
昭和30年代後半に、当時の東京大学の教授で林周二さんという先生がいらっしゃるのですが、その方が『流通革命』という本を出されました。その中に「問屋無用論」という言葉が入っていました。
先生は、おそらく、「単にメーカーさんから商品を仕入れて、それを小売店に流すだけの通過型の卸では意味がないですよ。そこにどう付加価値をつけていくのかを考えないと卸として生き残っていけませんよ」という趣旨でこの言葉を用いたのだと思うのですが、たまたまその「問屋無用論」という言葉だけが独り歩きをしてしまって、マスコミが「もう問屋はいらない。流通はメーカーから小売り直になる」というような論調になってしまったらしいのです。
それを見た当時の経営者が、危機感を感じて「我々はこれでいいのだろうか」というところで結構な議論を重ねた末、流通の製配販の3つの部門をつくって垂直統合しようという結論になりました。水平ではなくて、垂直の統合をしようということで、昭和42年にまずメーカー部門の前身である企画室というのをつくったのです。
そこが大きな転機だと思いますし、その企画室がつくった4つ目の商品が『ピップエレキバン』でした。その『ピップエレキバン』が昭和50年になって爆発的に売れて会社が変わったのです。
【ナレーター】
爆発的なヒットとなった、ピップの代名詞ともいえる商品、『ピップエレキバン』。知られざるヒットまでの道のりに迫った。
【松浦】
『ピップエレキバン』については、昭和47年に発売して、なかなか売れなかったのですが、お客様から「こんな良い商品はない」というお礼の手紙を結構いただいたらしいのです。お礼状にお菓子を添えて送ってこられた方もいらっしゃると聞いています。
そういう声があったから、「絶対これは売れる」と、「なんとか粘り続けよう」と、当時の社員は皆信じていました。でもどうしてもなかなか思ったような売り上げが上がらないので、最後の手段でテレビコマーシャルをしたそうです。
それがたまたま当たって、爆発的にヒットをしました。もちろんCMの力も大きいですが、それまでの営業の努力もやはり大変なものがあったのだろうと思います。
要はお客さんがお店に買いにいけば「これだよね」というので、すぐに店舗に商品があったというところが、ヒットにつながったのだろうと思いますね。

経営者プロフィール

氏名 | 松浦 由治 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1958年4月3日 |
座右の銘 | 一期一会 |
愛読書 | 八甲田山死の彷徨(新田次郎) |
尊敬する人物 | 父・叔父 |
会社概要
社名 | ピップ株式会社 |
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本社所在地 | 大阪府大阪市中央区農人橋2-1-36 |
設立 | 1946 |
業種分類 | 卸売業 |
代表者名 | 松浦 由治 |
WEBサイト | https://www.pipjapan.co.jp/ |
事業概要 | 医療衛生用品、健康食品、ベビー用品、ヘルスケア用品、日用雑貨、医薬品、医薬部外品、医療機器などの卸販売。ピップエレキバン、ピップマグネループ、スリムウォークなどの自社開発商品の製造・販売 |